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既成概念に囚われない
また素人であるという意識から左官業界、塗装業界のタブーということも幾つも破りながら現在の技術を生み出したようだ。例えば、シリコン撥水剤を塗布した箇所に塗装剤を重ね塗りするなど、1年生でも知っているしてはならないことをなんのためらいも無くやった。
異分野の技術を積極的に取り込むというのも社長の信条である。地元浜松と言えば、ヤマハ、ホンダ、スズキといったモーター産業で有名だが、これらの工場補修の仕事で出かける機会が度々あり、そこで先ずオートメーションで作られていく合理性とともに、車が使われる過酷な状況の中での耐久性に学べるものがあると常々思っていた。実際には、例えば、コンクリート補修の初期段階でコンクリートに樹脂を混ぜることを考えたとき、ヤマハがピアノの接着に使っていた酢酸ビニルを混ぜてみた。それは室内では完璧であったが、外部で水が多量にかかるところではうまくいかず、その後やはり自動車に使われていたエポキシを使いそれは十分な硬度を持ち、うまくいくと思われたが、紫外線に弱く、表面からぼろぼろ落ちてきたことがあった。そうした経緯を経て現在の弾性アクリル樹脂にたどり着いたとのことである。
モルタルに樹脂を混入するという左官業界ではあり得ないような発想も、工場生産の流れ作業に象徴される多くの職種の統合というものを目の当たりしたところから出て来たものと言えよう。また、コンクリート補修に使うモルタルは周囲のコンクリートの色に合わせて顔料をいれて調合するのだが、その塗料も自動車に使用しているものなどを参考に世界から集めているそうである。インタビュー後、オフィス脇にある小さな工場を見せて頂いた。そこには世界中から集めているという塗料や樹脂が並べてあった。また暴露試験のパネルが所狭しと並べてあり、職人の技術を高めるためにはつって作られたジャンカがパネル化されて並んでいた。また補修部分を打放しのように見せるためのピンホールを作る器具とか本実型枠を補修したときの本実の模様を作る器具、合板型枠用の模様を作る器具などが並んでいた。実に小さな工場の中に吉田のアイデアが満ち溢れているのに驚かされた。
吉田の仕事
ニチエー吉田の会社周辺には幾つもの施工実績がある。そのうちの幾つかを一緒に見せてもらうことにした。先ずは打設の補修と防水剤を塗布した最近の建物。そして経年劣化を補修したもの。各々二つずつ見せて頂いた。まず補修と防水剤を塗布したものとして、坂倉事務所が設計した静岡県文化芸術大学、そして浜松の駅前に建っている日本設計が設計したアクトシティである。
文化芸術大学は街の二ブロック程度にまたがる都市型大学であり、外装は九割方打放しである。表面はよくよく見ると補修後が分かるが型枠のテクスチャーを再現する技術によって殆どその姿は消えている。そして防水剤はフッ素樹脂で、そのフッ素にかなりの白が混ざられている。「白を混ぜるのは反対なんです」と吉田は言う。打放しはあくまでコンクリートの色であるほうが良いというのが吉田の持論である。「色をつけると撥水剤がきちんと染み込んでいるかどうか分からなくなる」。撥水剤がきちんと染み込んでいないと、雨が降るとピンホール部分が黒いほくろのようになってすぐに分かるという。
一方、アクトシティは防水剤にクリアのフッ素樹脂を使っている。こちらは打放し本来の色みが出ている。多くの補修を見てきたせいか、この打放しはかなりの部分が復刻ではないかと思って吉田に聞いてみた。「ここはかなり補修してますね」という答えが返ってきた。しかし素人目にはまずその差は分からない。
次に経年劣化による打放しの補修である浜松市民ホールの外壁を見た。これには少し驚いた。コンクリートが青いのである。「この時の補修用のセメントが青かったんですよ、打放しにうるさい所長だったら、普通の色にするよう指示があったと思いますが」と、本実型枠のこのコンクリートはものの見事に吉田の技術で再現されていた。工場でその再現用の版を見せてもらっていたので「ああ、あれでやったのか」と分かるものの、見ていなければ分からない。そして、もうひとつ同じ本実型枠の市役所の外壁の補修も見せてもらった。こちらも傍目では気付かないレベルに再現されていた。お見事としか言いようがない。
補修と防水剤という視点から色々記してみた。そして吉田晃という職人に会い、その40年の営為に触れることができた。そして脇に追いやられている打放し表面仕上げ技術の奥の深さに驚きもした。彼のアイデアは留まるところを知らず、乾式パネルの表面でさえ打放しにしてしまう技術さえも持ち合わせているとのことである。既にそうした技術で出来上がっている建物もある。これを是とするか非とするか私の決めることではないが、打放しがある意味で表層の記号と化して一人歩きさえし始めてしまった。練り付けの木の技術が出来た時それは邪道であったであろう。しかし、今や建築家でこれを根本から疑ってかかる人は少ない。少なくともこれを認めていかないと法律の網の目の中で木を使用できない場面も出てきてしまう。木も表層の記号と化しているのである。打放しというのもそうした表層の記号と化して建築仕上げの主流となるかどうかは分からない。しかし、職人が人知れず生み出す技術の中に建築を変える力が秘められていることも、確かであるような気がする。
初出:『GA 素材空間』2000年12月号
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