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タケイコンクリートの力
Q1 タケイ工業の歴史と初代社長についてお話いただけますか。
A1 タケイコンクリートの創業は大正2年タケイ特殊コンクリート研究所の創設からですが、実は明治43年に初代社長の武居佐源次がタケイ化学研究所を創設したのがその源です。武居佐源次は日本学術会会員であり、コンクリート研究家でした。日本で最も早くコンクリート防水液の研究・実用化に成功し、わが国コンクリート防水の鼻祖と言えるでしょう。当時から、もちろん日本にはアスファルト・ルーフィングは存在し営業上好敵手と考えていたようです。その後、幾度か社名を変更し、現在のタケイ工業(株)の形になったのは昭和24年のことです。その間代理店制をとり全国展開もしましたが、タケイコンクリートの命は注入する混和材の力半分、そして現場での責任施工という技術半分という認識のもとに、関東一円を中心として手の届く範囲、目の届く範囲のみとしています。
Q2 タケイ式進化コンクリートの概略を教えていただけますか。
A2 非常に簡単に言いますと、コンクリートというのは、化学反応でして、この反応はもちろん水とセメントの間で行われるのですが、一般にこの化学反応は完全には行われません。反応しきれないセメントが未水和セメントとして残ります。ということは水も反応しきれずコンクリートの中に残ります。残った水はいずれ空気中に蒸発しますから水の出て行った部分は空隙として残るのです。タケイの混合液はこの未水和セメントを覆う膜を破り水和反応を促進することでコンクリート中に残る水を減らし、ひいては空隙を減少させる。つまり、密実なコンクリートを作り上げるということです。
Q3 タケイコンクリートの防水性能を裏付ける仕事として、その昔多くの土木構造物、特に大変防水性能を要求されるものを作ってきたようですね
A3 タケイコンクリートは昭和20〜30年代までは主として、土木構造物(トンネル、給水塔)の発注を受けていました。建築の防水を請け負うようになったのは主としてその後のことです。それ以前の仕事の中で、防水性能を示す面白い仕事として、コンクリートの船というのがあります。当時、鉄の不足と軽量ということでコンクリート船というのは、かなり作られていたようです、また防水性能を物語る他の事例として、昭和8年九州若松港に作られた浮き桟橋があります。また昭和6年千葉県水道局によって作られた、栗山の給水塔は今でも給水稼動しています。その後、時代はコンクリートから鉄に移り、コンクリート船もコンクリート給水塔も無くなると同時に、タケイコンクリートの主流は建築のコンクリート防水へと移っていきます。特に昭和30年代にはコンクリート建造物による防火帯を作る政策に合致して、可燃材を使わない防水として広く普及したものと思われます。
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