可能性の包容

「ロスアンジェルスというものをどんなに表象的に読みとろうとしたところで、そういう分析的偏愛からもたらされるのはこの都市の解釈ではなく、分析する当の本人のパラダイムにすぎない。ロスアンジェルスは非理論家の都市である。」

エリック・オーエン・モス *1



 モスの謂いはロスアンジェルスが歴史的に築き上げられた、リジッドな実体を保持していないという一般的な指摘にとどまるものではない。また昨今のテクスト論への批判が示すように、都市をテクストとして読解するスタンスそのものに内在する陥穽を指摘しているだけのものではない。と言うのは私の見る限り、ロスアンジェルスには、ヨーロッパのような歴史的実体が存在しないとしても、後述するが、明らかに都市のモードが存在しそのモードが多かれ少なかれ都市の中で規範的に作用している。その意味においてはある緩やかなパラダイムは存在するのである。つまりモスの謂いで重要なのは、パラダイムが不在と言うことではなく、非論理という部分にある。仮にパラダイムらしきものが見え隠れしたとしても、それは論理的一貫性に貫かれてはいないと言うことだ。逆に言えば、いかなるパラダイムも瞬時に立ち現れては消える。あるいは並立する。言うなれば、変則的な事象を許容し非論理的に見えるパラダイムの存在を規定するメタパラダイムに言及している。

 この論考はこうしたメタパラダイムについてロスアンジェルスにとどまらず、その対極をいく東京と対照させながら、両都市の共通性として抽出しようとするものである。

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