« 2006年08月 | メイン | 2006年10月 »

2006年09月30日

モディリアーニ

lile_pic07.jpg

lile_pic03.jpg

モディリアーニをまとめて見られる機会もそうないだろうと思い、渋谷にいったついでに文化村に立ち寄る。そこでモディリアーニの首は何故長いのかあの顔の細長さは何処から来るのか。時として柔らかな曲線の裏に潜む正確な幾何学的なラインは何に起因するのか。この展覧会のストーリーに乗っかるとととりあえず分かる仕組みになっている。
先ずあの長い顔はプリミティブ芸術からの影響ということになっている。展覧会では確かに数枚の顔の素養が展示されていたが、それらは正にアフリカ民族芸術の木彫の素描のように細長く、かつ直線的だった。
2つめの幾何学であるが、これはよーくみてないと気づかないが、確かに正確な楕円の連続で構図をとっているものはある。これはセザンヌに始まり、キュビズムに受け継がれる幾何学性で説明される。

とりあえずそうなのかと思いこのお勉強は終わりとして、やはり僕にとってモディリアーニの面白さはあの目である。こんな不気味な顔は少ないと思う。黒目の無い顔の不思議である。それぞれが目以外で語るのだから限界がある。目は表情の中核なのにも関わらず、それを会えて捨象して表現するということは、飛車角おとして将棋するのに等しい。この不気味さで訴えるというのは左手で書くというのに等しい。それは余裕か、自己鍛錬か、スタイルか?

2006年09月23日

触覚

image02-1.jpg
竹橋の近代美術館で「モダン・パラダイス」という絵画展をやっている。近代絵画を日本と西洋を並行して同じテーマで並べるという趣向である。テーマは、視覚、触覚、命、他者である。テーマの流れは現代的で分かりやすかった。
この手の通史的な展覧会は美術史を学ぶには都合がいいがその分これと言ったインパクトに欠けるところが欠点かもしれない。しかしテーマはそれぞれとても興味深い。
触覚というのは触視といってもいいのかもしれない。見て触感を得るということである。しかし絵画は所詮は視覚的に見るものだから本当の意味で触覚ではない。見たものを各自の記憶表象の中で自らの触覚の記憶を呼び覚まし感じるということだと思う。ルーチョ・フォンターナの切り裂いたキャンバスやゲルハルト・リヒターの塗り重ねられた油彩、横山操の塔などが展示されている。その画面のテクスチャーがこちらに訴えるのだが、触覚を呼び起こすためには、画面に他の要素、つまり対象が存在しているとそちらに目が行ってしまう。つまり対象が表象されると触覚にま届いてこない。だから触覚のところに展示されているものは非対象絵画だが、横山の塔はよくよく見ると日本の建築の塔が浮かび上がる。しかしそれも最初の知覚からは生じないように配慮されている。よくよく見ると塔が見えるように描かれている。(あるいは表題を見るまで気がつかないのかもしれない)。
リヒターの絵のタイトルは「抽象絵画」である。だからもちろん対象はない。更に言えばその筆触は何気ない。きちんと直線的ではないし、意図的に曲線的でもない、ただ無為に引いた筆の跡が現われている。筆触に思考の痕跡を残していない。そこに作者の意図を感じない。それゆえ触覚的なものだけがそこに残っている。そんな気がした。
「他者」のところでは東松照明の沖縄の山羊の写真に惹かれた。沖縄という場所が僕等本土の人間にとって異国的であるとはもはや言いがたいし、山羊だってそれほど珍しいものでもない。それが組み合わさったところで他者性が加算されるわけでもない。しかし日常とはすこし異なる。しかしだからと言って見たことも無いものでもない。この少しずれた日常、少しずれた非日常、準日常とでも言えるようなこの光景が見るものに軽い違和感を生じさせるのだろうと感じた。

2006年09月18日

学会賞受賞パーティー

コラムの話題にしちゃただの出来事だけど書くことないので、、、、、夕方ヨコミゾ氏の学会賞受賞お祝い会に行った。場所は国際文化会館。つい先日仙田先生の退官パーティーをしたところだ。建築関係御用達のホールである。今日は知り合いだらけ。入り口のところで新建築の橋本氏と受付を待つ。忙しいとぼやいていた。中に入ると10+1の飯尾さんと会う。知っている人がいないとこちらもぼやいている。編集者なのにいないとは。10+1の書き手がいかに偏っているかよく分かる。塩尻のコンペに残った人に会うまいと思ったが、柳沢には会うし、佐藤さんの構造やってたのが佐藤さんだった。彼にも会った。なんと塩尻で7つも構造やってたそうだ。余り語らず通り過ぎ。日建同期でヨコミゾ氏の芸大同級生の山梨に会った。滅茶苦茶久しぶりである。日建はどんどん都市計画事務所になってしまうと嘆いていた。でも彼の最近の設計がSDレビューにはいったそうだ。やはり日建を救えるのは山梨しかいない。遠藤政樹さんに会ったらいきなり「あの本いいねえ、訳もいい」と褒められた。「何のこと?」と聞き返してしまった。言葉と建築のことだった。そうか、もう忘れかけていた。金箱氏にはよく会う。塩尻の残ったどれかの案の構造やってるそうだ。なんと、出てくる人はいつも同じなんだなあとあきれてしまった。岩岡さんは司会だった。12月から山田守展を学会でやるとのこと。その企画で設計どころではないと嘆いていた。もう歴史家になればいいのにと冗談をとばした。理顕さんに会った。ご苦労様とお礼をした。「楽しかったね」と言われたのでほっとした。よかった。今村君に会った。現在彼はUBC(ブリティッシュコロンビア大学)の学生を日本に集めて教えているのである。UBCのディーンもいっしょだった。相変わらず元気そうである。竹中の萩原氏に久しぶりに会った。「痩せたねえ大丈夫」と言われた「駄目だよ」と答えたかったが、「元気だよ」と答えた。千葉さんと帰りがけ目が合った。「腰大丈夫?」と聞いたら「もう大分いい」と言っていた。リーテムの審査も結構いい調子だったと言ってくれた、全国に行ってどうなるか??塩尻出さなかったねえと言ったら、「ゴメン、最後までやってたんだけど事務所の仕事が、、、」と言っていた。彼の教え子が残っているらしい。乾さんが「こんにちは」と元気よく通り過ぎて行った。城戸崎さんと挨拶。桑原も久しぶり。自宅が雨漏りしているとのこと。この言葉は禁句である。藤本氏とばったり。「ご無沙汰です」と。芸大の片山先生とご挨拶。「ヨコミゾはできる学生でした?」と聞いたら「やっぱり学生時代にできる奴が社会出てからもできるということだなあ」としみじみ言っていた。

最後にヨコミゾスピーチ。この美術館の仕事はコンペ当選後、途中で町長が代わりいかに苦労したか、学会審査の現地審査の時には町長に追い返されそうになったことまで言っていた。本当につらい仕事だったそうだ。この受賞が建築を続ける勇気を与えてくれたと言っていた。泣いていた。

2006年09月10日

ヒューマニズム建築

コリント.jpg

Jeoffery Scott The Architecture of Humanism をA0勉強会で読んでいる。そもそもこの本その昔ルドルフ・ウィットコウワ-の『ヒュ-マニズム建築の源流』が読みたくて手に入らずヒューマニズムと名の付く建築の本として買っておいたもの。なんでヒューマニズムという言葉が気になったのか忘れたが、今でも実はヒューマニズムという言葉が建築に使われる時の正確な意味が分からないでいる。普通に考えればもちろんルネサンスの中世的神の世界からの開放だから人間主義なのだろうし、もちろんそれが古典研究から始まったゆえに自動的にそれは古典建築研究を指すというのも分からないではない。しかしいろいろと邪推してみたくなる。最初の邪推は感情移入に関係する。スコットの本は1914年に出ている。スコットはヴェルフリンの影響を受けていると自ら語るくらいだから、ヴェルフリンの博士論文『建築心理学序説』は当然読んでいる。となると建築を感情移入として読もうとしている。そしてヴェルフリンの感情移入は建築を人間として擬人化するものである。であるなら、ヒューマニズムの建築とは人間のような建築と言う思いが込められていると言えるのではないか。(だからゴシックのようなおよそ人間的ではない大きさのものは否定的になる)
次の邪推は古典建築自体に内在する人間的なものに関係する。例えばサマーソンの『古典主義建築の系譜』にはこんなことが書いてある「オーダーに関してもう一言述べよう。それらはいつも何か人格に似たものを持っていると考えられている。これは多分、ウィトルウィウスにそのもとがあるようである・・・コリント式は「少女のほっそりした姿」を模したものなのである」。

などなど未だあるかもしれないし、それはそれは山の様にそれにまつわる話があるのかもしれない。門外漢がこんな歴史に頭つっこんで戯言をを吐いているのであれば、お恥ずかしい限りだが。

2006年09月04日


すかっり山づいてしまった。別に山屋になるわけではないのだが、結構おもしろい。これは昔超高層の研究していた時と同じのりだ。超高層研究を坂本先生のもとでやっていた時の資料は絵画と写真と小説だった。社会の集団表象をそこから読み取りそれが一体クライアントや建築家の意図するところと合致するか?なんていうイメージの授受を探っていた。もちろん山だから設計者がいるわけではないのでイメージを授ける人はいない。しかしもちろん超高層よりはるかに確実に受け取られているはず。そしてそんなデーターも超高層よりはるかに多い。なぜなら山は大きいから。超高層論の結論は超高層は高いだったけれど山の結論は山は大きいかもしれない。
しかしこのスケッチで分かるように日本の山は小さい。ヒマラヤ山脈の半分もない。そして日本の山はなだらかだ。誰かが山をリンチのようにイメージ分析したらだどうだと言っていた。そうなると日本の山は実にimageabilityが低いだろうと思う。山の写真を見せてどの山か答えろなんて言ったら、富士山以外、よほど山好きでなければ答えられまい。リンチ流に言えばヨーロッパの山はランドマーク的で日本の山はエッジである。
ところで日本の山が印象薄いのは単に形の問題だけではなく、すごい山を見る場所が少ないのだとも思う。いわゆる視点場というやつが少ない。昔印象に残る建築の研究というのがイギリスで行われていてその論文を読んだことがあるが、印象に残る建築の条件はそれを見るいい場所が多いということだった。かっこいい建物も見られることで初めて世にアピールできるのである。昔篠原先生が住宅は作っただけでは駄目でジャーナリズムに載って初めて社会性が得られると言ったのとまあ同じである。
剣岳なんてすごい山である。大学時代スキー部だった僕は立山の雪渓で夏合宿していたが時にその雪渓がないと剣のほうまで縦走して山小屋に合宿した。そこから見る剣は本当にすごい山だった。でも剣を知ったのはその時がはじめてでその後見ることもない。