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すかっり山づいてしまった。別に山屋になるわけではないのだが、結構おもしろい。これは昔超高層の研究していた時と同じのりだ。超高層研究を坂本先生のもとでやっていた時の資料は絵画と写真と小説だった。社会の集団表象をそこから読み取りそれが一体クライアントや建築家の意図するところと合致するか?なんていうイメージの授受を探っていた。もちろん山だから設計者がいるわけではないのでイメージを授ける人はいない。しかしもちろん超高層よりはるかに確実に受け取られているはず。そしてそんなデーターも超高層よりはるかに多い。なぜなら山は大きいから。超高層論の結論は超高層は高いだったけれど山の結論は山は大きいかもしれない。
しかしこのスケッチで分かるように日本の山は小さい。ヒマラヤ山脈の半分もない。そして日本の山はなだらかだ。誰かが山をリンチのようにイメージ分析したらだどうだと言っていた。そうなると日本の山は実にimageabilityが低いだろうと思う。山の写真を見せてどの山か答えろなんて言ったら、富士山以外、よほど山好きでなければ答えられまい。リンチ流に言えばヨーロッパの山はランドマーク的で日本の山はエッジである。
ところで日本の山が印象薄いのは単に形の問題だけではなく、すごい山を見る場所が少ないのだとも思う。いわゆる視点場というやつが少ない。昔印象に残る建築の研究というのがイギリスで行われていてその論文を読んだことがあるが、印象に残る建築の条件はそれを見るいい場所が多いということだった。かっこいい建物も見られることで初めて世にアピールできるのである。昔篠原先生が住宅は作っただけでは駄目でジャーナリズムに載って初めて社会性が得られると言ったのとまあ同じである。
剣岳なんてすごい山である。大学時代スキー部だった僕は立山の雪渓で夏合宿していたが時にその雪渓がないと剣のほうまで縦走して山小屋に合宿した。そこから見る剣は本当にすごい山だった。でも剣を知ったのはその時がはじめてでその後見ることもない。

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