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2006年03月25日

プラド美術館展でヴェルフリンを復習しよう

ティッチアーノ小.jpg

Tiziano, Vecellio サロメ 1555

リュベンス小.jpg

Rubens, Peter Paul 運命 1636-38頃

プサン小.jpg

Poussin, Nicolas廃墟のある風景 1633―35頃

大学院の授業でもゼミでも登場するのがヴェルフリンの『美術史の基礎概念』いうまでもなく、ここでは古典とバロックの空間概念の差を5つの視点で解き明かす。①線的と絵画的、②平面と深奥、③構築的と非構築的、④多数的統一性と単一的統一性、⑤明瞭製と不明瞭性。さてこの二項対立図式はギリシアの昔から、類似した意味合いを含みながら存在していた。つまりアリストテレスのエイドス(形相)とヒューレ(質料)に始まる二項対立である。アリストテレスのエイドスはラテン語でフォルマとなりエイドス以外にモルフェ(形式)の意味を大きく担う。そしてこのフォルマとマテリアは絵画の世界では「線」と「色」の二項図式となるが、ルネサンスでは線が優勢となる。あのヴァザーリは芸術家として、画家、彫刻家、建築家を三者同等に並べた最初の人らしいが、この三人に共通する技を彼はarti del disegnoと呼んだつまりデッサンの術=線描の術である。つまり線が尊ばれたということだ。ところがその後、線に対して、色を重視する流れができる。それがヴェネツィア派と呼ばれる画家たちでありその流れがバロックにつながり、冒頭記したヴェルフリンの分析を生むのである。
なんてことを授業でやっていながら、実は僕はその本物を意識してみたことは無かった。もちろん、線派のラファエロ、プッサン、デューラー、色派のティッチアーノ、リュベンス、ベラスケス、レンブラントなんてどこかで見ているかもしれない。でもこうしたことを意識してみたことはない。
そこで今日から始まったプラド美術館展に行ってきた。ティッチアーノ、リュベンス、ベラスケス、プッサン、だけでも10点くらいあったと思う。ヴェルフリンをおさらいしたい人には絶好の展覧会である。僕もヴェルフリン片手にじっくりとディテールを見た。初日の9時に飛び込んだのに既にすごい人。でもまあちょっと待てばじっくり見られる。そこでちょっと気がついた。色派と言われるティッチアーノやリュベンスの輪郭部分をじっと見ていると、比較的暗めのバックに白い肌が浮き上がるのだが、その輪郭を何故線的と言わないのか? そう思いながらもう少しじっと見る。すると肌の色は、肌とバックの境界付近で限りなく暗く落ちていくのである。そしてバックに同化するのである。その時完全に同化すると境界が余りに不明瞭になるので苦肉の策でバックにむしろ少し白をかけて明るくしているのである。つまり輪郭線を描くのではなく、バックを対象と異なる色にすることで対象を浮き立たせるように描いていることが分かるのである。なるほど、これなら確かに線的とはいいにくい。本物をじっと見ていたらやっとヴェルフリンの気持ちが理解できた。やはりこの手のものはなるべく本物をみないとなあと感じたのであった。

2006年03月19日

モード建築

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昨日の東京アートスピークでのレクチャーでお話したことだが、バルトの『モードの体系』ではある年のあるフランスのファッション雑誌の言説を取り出してきて二つのグループに分けたのである。Aグループは、「コットン」は「夏」とか「海辺」は「ボーダーシャツ」というような文章で「服」=「世界」という図式なのである。そしてこの世界とは所謂TPOのこと。一方Bグループとは「短めのボレロ」とか「白い麻」なんていう風に「世界」の無い文章で、これは暗黙の内にこれらが今年のモードであることを言っているのである。
さてこの言説分析は60年代に行われているのだが、21世紀にこれをやるとどうなるか、我が家でかみさんとかみさんのファッション雑誌を2冊ほど見てみると、このAグループの文章が見つからないのである。何故?かみさんの推測は、現代のモードはTPOが無い。シルクのドレスにジーンズのジャケットを羽織ったりする。つまりTPOとファッションの中にある暗黙のルールを壊すルールが生まれているからだというのである。なるほど。
さてそれで建築についてこの言説分析をやるとどうなるか??カーサブルータスを少し眺めてみる。やはりAにあたる文章は見当たらないのである。「自然と闘わない」とか「閉じて開く」とか.。だからそれが何なの?にあたる「世界」の部分が無いのである。
それについて昨日のレクチャーでは「建築にはTPOは作れないからね」なんて適当なことを言ったけれど本当だろうか?建築だって例えば部屋によってTPOがあったりする。ちょっと昔のヨーロッパの家にはブレックファーストルームとかダンスルームとかあった。あるいはもっと前ならl、スタイルの格式があった。という風にTPO=何時どういう風に何の為に=(目的)、が明快だったのである。ところがそれは後期モダニズムのユニバーサルスペースによって御破算となり、コルハースによって再度90年代に妙な復活を見せているために現在ことさらスペースのTPOは語られない。しかしちょっと前の言説を探せばきっと、「食事室は朝の光で満ちる、壁紙は白が旬」とか「ちょっとゴージャスな居間の床はペルシャ柄気分はもう東方。心は躍る」なんていう言説があったかもしれない。つまりバルトが分析した頃の建築雑誌を引っ張り出せばやはりAグループ、Bグループの双方が見つかるのではないかと思うのである。
まあ逆に言えば今時の建築は、世界とはあまり関係なく比較的直感的にモードかモードでないかという単純な世界にあるということなのかもしれない。

2006年03月11日

芸術の逆説

小田部胤久『芸術の逆説』は18~19世紀に始めて芸術という概念が確立されたことを示す。そのために付帯する諸概念を取り上げてそれ以前以後の言葉の意味の変化を追っている。
創造:
神のみのなせる業から芸術家も可能なものへ拡張。
独創性(original):
根源、規範という意味でそれらは以前は自然が受け持っていたのだが、作家の内面へ移動。
芸術:
原像―模像という二項関係から芸術家―芸術作品―享受者という三者関係の中へ移動。
芸術作品:
単なる技術から技術を超える何ものかへ移動。
形式:
ルソーに代表される反形式主義から芸術の自律を目指す形式主義へ移動。

なるほど芸術をめぐる概念の変遷を18~19世紀に求めるのは分かりやすいが、しかし今日的には、そうした概念がモダニズム批判のもとにもう一度転倒していることは言うまでも無い。たとえば創造とか独創性が既に幻想であろうことは多くの若手アーティストやその作品に表れている(作家性を消失させようというみかん組みの考えていたようなことはそのいい例である)。芸術作品というものが技術を根底にそこに加えられた何かという構造は既に見えにくい。もはや我々は芸術に技術を期待していない。その基盤となっているのは芸術を布置するコンテキストでしかない。コンテキストを超えるなにものかのみが興味の対象だ。形式にいたってはもちろん批判の矢面である。

今もし上記のような近代の芸術概念をめぐる発生を問うならば、その後の姿も追っかけたいものである。いや別にモダニズム概念の発生だけを追うことが現在片手落ちな議論だというつもりは毛頭無い。それはそれなりに価値がある。いやむしろ僕がここで言うように一言で「ポストモダンがこれをひっくり返した」なんて言うことが無責任極まりないことは承知している。ただせっかくのモダニズム概念の発生史を厳密に追っているだけに、その概念が現在までにどのように変遷崩壊あるいは再生(もうすぐするとそんなことが起こる)したかを正確に追ってくれるなら更にとても価値ある議論の種になろうと思うのである。

2006年03月06日

東大公開講評会

土曜日に東大建築学科の公開講評会を覗きに行った。学外審査員だけで審査するという大胆な試みである。川俣正、佐々木睦郎、高間三郎、西沢立衛、古谷誠章、山本理顕という素晴らしい審査員である。発表者は65名の中から選抜された12名。残念ながら全部をみることはできなかったが僕の感じたことを少し記しておこう。

先ずは、一般の大学は前期後期で卒計と論文をやるのに比べ東大の場合4年後期に卒計と卒論をいっぺんにやる。そんな過酷な状況でA1 12枚のドローイングと巨大な模型を制作している。それはとんでもないバイタリティである。すごい。それだけで拍手を送りたいと思った。
内容もそれを考えれば皆よく考えられていると思った。

新宿御苑をもっと人々に開かれた場所にしようという案があった。素朴だけどとてもいい発想だと思った。しかしそれを千駄ヶ谷の駅ビルのようなものを作ってその場所を公園の結界にしようとしていた。それに対して、西沢氏が公園全体の境界を取り除いたらいいのではと述べていた。とても的確な指摘だと思った。僕が聞いたコメントの中では一番インパクトがあった。

街中の4つの神社を町のコミュニティ施設にするという案には夢のような、でもなんとなくありえそうな不思議なリアリティがあった。

五反田の古い都営アパートのリノベーションの中に周辺町工場を挿入するという案があった。リノベーションを街づくりの核にするという案である。「リノベーションは今日的課題だけれど、対象とする建物が本当にそうするほど魅力的かどうかというところが大事じゃないですか」という西沢氏のコメントはまたもやとても的を射ている。

青山の公営集合住宅を増築する案。これは正直言って良く分からなかった。この増築によって何がどうよくなったのか?

東急東横線の渋谷から代官山が地下化されるにあたり、高架の構造物を利用した都市施設は諸審査員に好評のようだったが、僕にはあまり面白さが分からなかった。

僕が見た中で一番好きだったのは地下鉄丸の内線の御茶ノ水駅のリノベーション。それは僕が昔この駅をよく利用していたことも手伝っている。子供の頃から地下鉄駅の暗い印象が嫌いだった。
面白い理由その①地下鉄の駅を降りて即外が見えそうなこと。地下の駅なのに駅が崖にあるから、崖に穴を空ければ外である。地下鉄駅とは思えぬ新しい場所ができると思った。
理由その②都市の崖地はリンチがエッジというように、とても重要な都市の環境要素であり、そこを建築的に構築することはうまくやればとても印象的な風景をつくれる場所だと思う。つまりそれは一つのランドマークである。
理由その③この案は多くの斜め線で構成されている。佐々木先生は必然性が無いと批判していたが、僕は、地下鉄の駅という地下であることを余儀なくされ地上に上がることが主目的な施設において、多くの斜路が走る場所となるのはむしろ必然だと感じた。つまりデザインのためのデザインではなくとても素直なカタチだと感じた。加えて、ドローイングがとてもきれいで新しかった。

僕は半分しか見ていなかったが、後半もきっと面白いものがあったと思う。