芸術の逆説
小田部胤久『芸術の逆説』は18~19世紀に始めて芸術という概念が確立されたことを示す。そのために付帯する諸概念を取り上げてそれ以前以後の言葉の意味の変化を追っている。
創造:
神のみのなせる業から芸術家も可能なものへ拡張。
独創性(original):
根源、規範という意味でそれらは以前は自然が受け持っていたのだが、作家の内面へ移動。
芸術:
原像―模像という二項関係から芸術家―芸術作品―享受者という三者関係の中へ移動。
芸術作品:
単なる技術から技術を超える何ものかへ移動。
形式:
ルソーに代表される反形式主義から芸術の自律を目指す形式主義へ移動。
なるほど芸術をめぐる概念の変遷を18~19世紀に求めるのは分かりやすいが、しかし今日的には、そうした概念がモダニズム批判のもとにもう一度転倒していることは言うまでも無い。たとえば創造とか独創性が既に幻想であろうことは多くの若手アーティストやその作品に表れている(作家性を消失させようというみかん組みの考えていたようなことはそのいい例である)。芸術作品というものが技術を根底にそこに加えられた何かという構造は既に見えにくい。もはや我々は芸術に技術を期待していない。その基盤となっているのは芸術を布置するコンテキストでしかない。コンテキストを超えるなにものかのみが興味の対象だ。形式にいたってはもちろん批判の矢面である。
今もし上記のような近代の芸術概念をめぐる発生を問うならば、その後の姿も追っかけたいものである。いや別にモダニズム概念の発生だけを追うことが現在片手落ちな議論だというつもりは毛頭無い。それはそれなりに価値がある。いやむしろ僕がここで言うように一言で「ポストモダンがこれをひっくり返した」なんて言うことが無責任極まりないことは承知している。ただせっかくのモダニズム概念の発生史を厳密に追っているだけに、その概念が現在までにどのように変遷崩壊あるいは再生(もうすぐするとそんなことが起こる)したかを正確に追ってくれるなら更にとても価値ある議論の種になろうと思うのである。