日常を発見したのは写真家である
神田明神の脇にgallery bauhausという写真専門のギャラリーがある。間口10メートル程度の打ち放しのビルである。中央にかなり大きな樹木が植えられている。こんな場所にこんなギャラリーがあるとは知らなかった。ロバート・フランクの展覧会が行われておりオリジナルプリントが並ぶ(http://ofda.jp/column/)あの有名な写真集「アメリカ人」のネガべた焼があった。赤ペンで写真集に載せる写真選びがされているのを見ると。ああこういうなかからこういうものを選ぶのだという写真家のセレクトの過程が追体験できる。
フランクは「決定的瞬間」を計算された構図で撮影するアンリ・カルティエ=ブレッソンの流儀を否定して人間の自然な視線を追求し、ありのままの「普通」を撮影しようとした。言いかえればそれまでの「非日常的視線」ではなく「日常的視線」を希求したのである。それにしてもその写真集がでたのは1958年僕が生まれる1年前である。建築で日常なんていう概念がテーマ化されるのは少なくとも多木浩二が1978年に『生きられた家』を書いた後であろう。この20年は何を意味するのだろうか?