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2007年01月28日

装飾の起源

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海野弘の『装飾空間論』美術出版社1973の巻末参考文献を頼りに3冊の装飾事典をアマゾンの中古で購入した。一つはどんな装飾の本にも大体登場するかなり基本的な文献。Jones,Owen Grammar of Ornament The Ivy Press Limited 2001(original 1856)これは装飾の近代的研究の口火を切った本。この成果はリーグルの『美術様式論』に受け継がれたと言われている。全頁カラーでとにかく綺麗である。二つ目はFranz Sales Meyer Handbook of Ornamnent Dover publication 1957 (original 1888)である。装飾の要素(幾何学、自然等)装飾の応用、装飾されたものとなっている。海野氏が「装飾インデックスとしては今のところ最良」と言うだけのことはあり、とても分かりやすい。さて3つ目はAlexander Speltz The Styles of Ornament Dover Publication 1959 (original 1910)マイヤーの事典が装飾構造によって分類されているのに比べ、こちらは時代や様式、国の分類となっている。これは最初にあげたオウエン・ジョーンズの分類と同じである。
この中で唯一日本の装飾に言及しているのは最後のスペルツのものだが、図のような柄が登場する。なんとも中国っぽい。もちろん日本人が日本で書いた柄に中国っぽいものもあるのかもしれないが内容は明らかに中国である。日本で作られたから日本の柄ということもない。きっとこの手の本にはこうした問題がいろいろあるのであろう。見つかったところ作られたところはある国かもしれないが、その内容はその国のものではないという問題。我々は他国のことはわからない。装飾のようなものは生活に染み付いている。この本を見た他国の人も直感的に違和感を覚えるところがあるかもしれない。

2007年01月07日

装飾

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Stanuns, H The Decorative Treatment of Natural Foliage, London , 1891. にこんな挿絵が入っている。自然界の対象を装飾にする場合の注意点を書いているようである。そのまま描くと左になるが装飾とするには右のようにしないといけないということのようである。ゲシュタルト的な視認性を上げるべく抽象化していることがよく分かるし、明らかに右の方が、すっきりしていていい図柄という気がする。かように装飾とは抽象であり、世界との関係を疎遠にするところに存在するものであろう。というのは先ほど届いたルカーチの美学に書いてあった。曰く「つまり装飾は、まさにそれが実在世界の対象性と連関とを故意に無視するがゆえに、また右の連関のかわりに主として幾何学的種類の抽象的結合方式を設定するがゆえにこそ、没世界的なのである」もちろんルカーチも幾何学的装飾のみを装飾として定義しているわけではなく、その境界は曖昧であるとしながらも、装飾と言うジャンルを抽象性の強いものとして規定している。
装飾関係の書籍を渉猟しているとしまいに装飾と絵画の差が曖昧になる。例えばモンドリアンの絵は絵画か装飾か???。タブローに入っていれば絵画でカーテン生地なら装飾ということでもあるまい。装飾とはおよそ世界を人工的に創造する人間の精神的なメカニズムの基盤である。しかしそれをヴォリンガー的な空間恐怖というものに支えられていると言うのも余りに源まで遡りすぎである。現代において、そこにあるのは同じ空間恐怖でもモダニズム的真っ白なことへの恐怖(そう言ってしまうとポストモダニズム的だが)のようである。適度に間合いが埋まっていることへの安心感が装飾を作っている。なんて書くと結局昔もそうだったような気がしてきた。