装飾
Stanuns, H The Decorative Treatment of Natural Foliage, London , 1891. にこんな挿絵が入っている。自然界の対象を装飾にする場合の注意点を書いているようである。そのまま描くと左になるが装飾とするには右のようにしないといけないということのようである。ゲシュタルト的な視認性を上げるべく抽象化していることがよく分かるし、明らかに右の方が、すっきりしていていい図柄という気がする。かように装飾とは抽象であり、世界との関係を疎遠にするところに存在するものであろう。というのは先ほど届いたルカーチの美学に書いてあった。曰く「つまり装飾は、まさにそれが実在世界の対象性と連関とを故意に無視するがゆえに、また右の連関のかわりに主として幾何学的種類の抽象的結合方式を設定するがゆえにこそ、没世界的なのである」もちろんルカーチも幾何学的装飾のみを装飾として定義しているわけではなく、その境界は曖昧であるとしながらも、装飾と言うジャンルを抽象性の強いものとして規定している。
装飾関係の書籍を渉猟しているとしまいに装飾と絵画の差が曖昧になる。例えばモンドリアンの絵は絵画か装飾か???。タブローに入っていれば絵画でカーテン生地なら装飾ということでもあるまい。装飾とはおよそ世界を人工的に創造する人間の精神的なメカニズムの基盤である。しかしそれをヴォリンガー的な空間恐怖というものに支えられていると言うのも余りに源まで遡りすぎである。現代において、そこにあるのは同じ空間恐怖でもモダニズム的真っ白なことへの恐怖(そう言ってしまうとポストモダニズム的だが)のようである。適度に間合いが埋まっていることへの安心感が装飾を作っている。なんて書くと結局昔もそうだったような気がしてきた。