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2007年02月23日

ルネ・ブリのバラガン

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luis barragan rene burri

「世界遺産」にバラガン邸が放映された日にルネ・ブリの小さな写真集「luis barragan」phaidon 2000が届いた。
1985年の夏休み、僕らuclaのチャールズ・ムーア、リカルド・リゴレッタスタジオはメキシコに1週間の建築旅行に出かけた。ニューヨークまで飛行機で飛びそこからメキシコに入った。最初の目的地はオハカである。アステカの遺跡が残る古い町。強烈な太陽のもと遺跡を巡り歩き3時くらいにはみな暑さにたまりかね宿に戻る。同級生のヨーロッパの白人の数名は日射病やら火傷のような日焼けに苦しんでいた。黄色人種は比較的耐えられる。4時ころには宿の前の町のプラザ周りにあるカフェのようなバーのような木陰でムーアーとリゴレッタを囲みテキーラーベースの冷たいカクテルを水のように飲む。やっと食事をしようという7時ころにはもう皆結構へべれけだが巨漢のムーアとリゴレッタはさあこれからである。
数日オハカで過ごしメキシコシテイに移動。そしてバラガンである。シティは実に東京のようにカオスである。数日しかいないのでえらそうなことはいえないが、町の骨格が感じられない。リンチ的に言えばイメージャビリティが低い。ほこりっぽい。そのカオスの中にテレビでも言っていたようにバラガンの静寂は突如訪れる。まさにその部分だけ神が降りてきたような別世界である。
バラガンのピンク・赤・黄色・青は地元の人に言わせればメキシコの色だそうだ。確かにあの彩度の高い色はオハカにも多く見られた。シティにもある。だからバラガン(リゴレッタもそうだけど)の空間は日本で考えるほど「色」に規定されているわけではない。静寂と空と色と空間の不思議な融合の中にバラガンはいた。ルネ・ブリの色あせた写真はそんなシティのバラガンをとても正確に伝えている。テレビを見終わった後この写真集をみたら突如20年前のシティが蘇ったのがその証拠である。

2007年02月12日

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鈴木治《蜃気楼》1989

オペラシティアートギャラリーの「土から生まれるもの」展を見た。平たく言えば前衛陶器の展覧会である。
土と言うタイトルが示すとおりここにあるものは「自然」の作り方への挑戦のように見える。並んでいる物は大きく二つの試みに分けられる。一つは自然の質料を持ちながらさらに自然の形式を作ろうとするもの。つまり土の質感と色を持ちながら更に形状もアモルファスでその辺の山に行けば転がってそうな石の破片のような形を模したものである。一方もう一つは自然の質料を用いて人工の形式を作ろうとするものである。人工の形式とは基本的に幾何学なのだが、立方体や球と言ったリテラルな幾何学形状ではなくここに示す鈴木治のもののように幾何学が緩く変形されたものもある。
前者のタイプは徹底した自然を人工である人間の手で作ろうというものでありそのずれのに表現としての強さが生まれる。一方後者は質料と形式の間にすでに一つのコントラストが生まれているわけだ。昨今の建築はこの後者の手法の延長にあるといっていい。
特にこの鈴木の作品はこの写真のようなずれた幾何学形が10個くらい並んでいるが実に建築模型のようである。とてもきれいであった。ちょっと前に同じ場所で行われていた伊東豊雄の展覧会を思い出してしまった。

2007年02月03日

lalala human steps

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事務所のスタッフから借りたコンテンポラリーダンスのdvdを見た。デドゥルアール・ロック率いるカナダのダンスカンパニー「ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップス」による「アメリア」という作品である。
ダンスは楓で作られた床壁が湾曲して連続した箱の中で行われている。床と壁の連続の中で見えてくるダンサーはあたかも木の箱の中に浮遊しているようにも見える。その動きは極めて早い。残念ながら、その動きには特に顕著な個性は感じられないのだがそのスピードと動きの完成度の高さは比類ない。
ダンスをdvdで見るのは初めてだった。あたりまえだがライブに勝るものではない。しかし良くも悪しくも繰り返し見られるというのがdvdの特徴である。人間の注意力には限界があるのだろう。数回見ると前回意識されなかったものが見えてくる。