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2006年11月26日

社会構築される建築の価値

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様々な世の中の価値はある程度社会的構築の産物である。ということにもはや全面的に異を唱える人はいないと思う。僕が卒論や修士の論文で建築一般紙を取り上げているのも極論すれば建築的価値の創出も社会的に構築されていてその一端を(しかもかなり大きな一端を)建築一般紙が担っていると考えているからだ。
ブルデューの近著『住宅市場の社会経済学』藤原書店2006(原著2000)もそうした観点から書かれた書である。
後書きを抜粋してみよう。
「そもそも住宅市場はいかにして形成されたか。・・・ブルデューは住宅メーカー、国家、地方自治体、銀行、販売員、顧客、など各種の行為者とその『界』の分析」を行う。そして「そこに見られるものは『束縛なき競争にゆだねられた市場』における自由な設計主体による合理的選択などではない。住宅供給の構築においては国家や金融機関が、住宅需要の構築においてはこれまた国家や企業広告などが、それぞれ決定的な役割を果たしているのであり、こうして住宅市場なるものがあくまでも社会的構築の産物であることが語りだされる」
さてそういう全体像は既述のとおりさもありなんであるし、坂本一成氏のその昔の商品化住宅のイメージ調査を髣髴とさせる。
そんな本論の中のとある一つの調査結果にこんなものがある。なかなか面白いので紹介しておこう。
それは「社会的ヒエラルキーが下に行くほど家の象徴的側面よりも技術的側面を重視する傾向が強くなることが知られている」というものである。この結果をブルデューは次のように解説する。「文化的に最も恵まれない者たちが、文化レベルと結びついた偏見から(やむを得ず)開放された機能主義美学とでも呼べるものを受け入れている」。僕の解釈を交えて言い換えるなら、文化的に低いレベル(こう言う言い方はあまり好ましく無いが)の人においては、家の価値を判断する基準がつまるところ使い勝手や耐久性というようなものしかない。ということであり、趣味を云々することには興味が無い。あるいはそうした知識の蓄積がないということなのではないか。
正直言えばそういう人たちは建築家の顧客にはならないので余り正確なところは分からないが、建築家の顧客として象徴価値を重視する人たちにおいてもそこには程度の差がありその点をブルデューに倣って分析してみることも可能なのかもしれない。しかしそれはなかなかクライアントへの礼を失する可能性があるので公にできるものではないだろうが。
話をもとに戻せば、ヒエラルキーが下がるとそういう現象がおこり上がればもちろん逆に象徴的側面を重視することになる。そしてそうした層のなかで象徴価値は構築されていくということになるのである。

2006年11月13日

ヤンキー

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ヤンキーという言葉は日本の不良まがいをかわいらしく表現する言葉でそれは大阪のアメリカ村が発祥だと聞く。語源由来辞典にはこう書かれている

「日本で不良っぽい若者を「ヤンキー」と呼ぶようになったのは、大阪の難波の「アメリカ村」と呼ばれる地域からである。
1970年代から80年代にかけ、アメリカ村で買った派手なアロハシャツや、太いズボンを履いて、繁華街をウロウロする若者を「ヤンキー」と呼ぶようになった。
やがて、不良少年全般を「ヤンキー」と呼ぶようになり、西日本を中心に全国へ広がった。
しかし、単にアメリカ風ファッションから「ヤンキー」と呼ぶようになったのではなく、彼等が語尾に「~やんけ」を連発していたことから、「やんけ」が変化し「ヤンキー」になったといわれる」

なるほど。しかしもともとはアメリカの南北戦争で南軍が北軍を軽蔑して使用した言葉であり、それがその後アメリカ人全体を指す言葉として使用された。と辞典には続きがある。

しかし実はもう少し特定の意味もあるようだ。10年くらい前。私は出張で2月に一度くらいボストンに出張していた。BTA(Benjamin Thompson Assocates)と共同で、とある建物を設計していたからだ。そのころのボストン通いでBostonはアメリカのお高くとまった連中の集結地であることを知った。アイビーリーグと言ったって、一番格上はハーバード(ボストンにある)でありプリンストンやペンシルヴェニアは2流であるといのがそうした連中の意見だそうだ。もちろんそう言うことを言うのはハーバード出身なのだが。そう言えば日建設計の留学先ベストワンはハーバードだったが行った連中はこう言うことを当然調べてから行っていたのかもしれない。
ところでこう言うスノッブボストニアンは使う言葉も違うということを聞いたことがある。アメリカの標準語は西海岸の言葉と言われるが、もちろんこうしたスノビッシュボストニアンにとっては彼ら西の言葉は田舎の言葉なのである。
さて話は長くなったがそうしたボストニアンのことを調べた本に最近巡り合った。渡辺靖『アフターアメリカ』慶応義塾大学出版会, 2004である。著者はハーバード留学中に博士論文としてこのボストニアンについて調査し戦後アメリカボストニアンのこうした上層部(それらは主としてWASPと呼ばれるプロテスタントのアングロサクソン白人で構成される)と下層部(主としてカソリックのアイリッシュアメリカンで構成される)の構成とその構成が文化をどのように形成しているかを綿密に調査したのである。
それによるとこうしたスノビッシュ・ボストニアンをブラーミンと呼ぶのだそうだ。そしてこのブラーミンとほぼ同義的に、すなわちニューイングランド特にボストン周辺のWASPを中心とした富裕層をヤンキーと呼ぶのだそうだ。
日本では不良が原義はアメリカ富裕層。なんとこの言葉のニュアンスのずれ。日本語英語がひどく歪曲された形で使われる例はヤマのようにあるがこんな正反対の意味となってしまうのも珍しい。
しかしニューヨーク・ヤンキースが富裕層だけの野球チームという気はしないのだが、あれはどんなニュアンスなのだろうか?

2006年11月05日

大竹伸朗

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東現美の大竹伸朗展を見た。体育会系アーティストの典型大竹には驚異的なエネルギーと尽きることの無い好奇心が漲る。なんて書くと何処にでもいそうなアーティストだが、多分何処にでもいそうなアーティストなのである。この展覧会。「大竹伸朗 全景」と命名されており、彼の小学生の時のお絵かき作品から、今までが展示されている。その量は気が狂わんばかりであり、まじめに見ていると大変なことになる。特にロンドン留学中のスクラップブックが異常である。延べ1万ページを超える量。それも一ページに所狭しとマッチケースからコースターからフライヤーから街で手に入れたものは全て張り込まれ、余白に色や字が書き込まれている。何冊あったろうか、数十冊はあっただろう。
彼はこのスクラップをまだ売れぬ頃にリブロポートに勤めていた永江朗のところに持って行っては得意げに見せていたようである。
この展覧会を期にいろいろな雑誌に大竹特集が組まれている。どれか忘れたが永江との対談で大竹は自分はニューペインティングでくくられてもう終ったようなものとレッテルが貼られていると自嘲気味に語っていた。しかし終ったと笑いながら、尽きぬことの制作欲には脱帽である。終ったというのはそのあとのムラカミやナラに抜かれたということを指しているのかもしれない。確かに一時的に見ればそんな風にも見える。しかし彼らも後5年もすれば誰かに抜かれる。そして問題なのはその後10年して残れるかどうかだろうと思う。
そんなことを言っていたのは東京画廊の山本社長である。果たして10年後に誰が残っているか楽しみである。