音楽と建築
デカルト(1596~1650)は「我思うゆえに我あり」の『方法序説』で有名だが実は『情念論』というのも書いている。人間の精神を突き動かすものは驚き、愛、憎しみ、喜び、悲しみ、欲望の6つの基本情念の組み合わせだという。そしてデカルトは「音楽提要」を著し、「音楽の目的は快を与えわれわれのうちにさまざまな感情をひきおこすことにある」と考えた。つまり「われ」と「情念」である。この情念の表出「ex」がバロックの「表現」と言われている。
さてそうした自由で奔放な新たなバロックは建築ならベルサイユで音楽で言えばバッハである。そしてその次の新古典は建築ならパリのパンテオンであり、音楽ならハイドン。そしてロマン主義は建築なら、シンケルあたりか? 音楽ならベートーベンだ。
さて何が言いたいかというと、建築はバロック新古典の差が大きい。音楽はバッハとハイドンの差は余り無い。(いやもちろんあるのだが、建築のほうが際立っている)一方建築の新古典とロマンの差は僕にはなかなか分からない。一方で音楽の差は激しい。ハイドンとベートーベンなんてクラシックとポップスくらい差がある。それに話をデカルトに戻すなら、バッハなんてベートーベンに比べたら情念の「じょ]も無いという気がする。バッハは単調に弾くものだと昔教わったものだ。感情を出したらいけない音楽だと教わった気もする。それはバロック建築からは想像もできない。
音楽と建築、そして美術もだがそれらは当然ある並行関係を保っているはずなのだが、しかしよくよく見れば実は微妙にずれている。