建築家の持久力
渡そうとしたバトンが落ちたまま拾われないので再び拾い上げて第一走者が三周目を走ります。
先日今村君が信州大学に来られた時に、講評会の後私の研究室の学生全員と食事をしてこう言いました。「プロスポーツに比べれば、建築世界など甘いものだ、徹夜してコンペ出して、酒飲んで浮かれて、何日か建築のこと忘れて遊んでいてはいけない。松井やイチローは一年365日、24時間自分の肉体を管理し、この継続的な自己管理と鍛錬が最高の結果を出しているのは言うまでも無いこと。これは建築だって同じである」。うんその通りだと思う。
思わず僕もサーリネンの逸話を話した「サーリネンは朝食の食卓に出されたバター壷の中のバターで建築の形を考えていて離婚されたそうだ」。
さて昨日朝東京画廊の山本社長と話して面白いことを聞いた。「アーティストの寿命は20年なんです。でも稀に20年を超えられる人がいる。そういう人に共通するものは何か?それは好奇心なんです。いつまでもいろいろなものを見たり聞いたり食べたりする意欲です。村上隆もこれからが勝負でしょうね。でも彼はそれがわかっているから芸祭で若い人を集めて勉強し続けているのです」うーんそうか。
この持続性ということを言えば、昨日午後、芸大に吉村順三展を見に行った。昨日の上野はすごい人。芸大の美術館は初めて行くが素敵だなあと思った。(先日は表象学会の立ち上げシンポジウムということで東大駒場に共通一次試験以来、25年ぶりに訪れて「ああいいキャンパスだな」と思ったところだった。芸大といい東大といい古い大学のよさが滲み出ている)
さて吉村展は建築家の展覧会とは思えぬ人ごみであった。しかし僕としてはこの展覧会はちょっと期待はずれであった。軽井沢、南台、池田山、と言った吉村の名住宅4~5軒と愛知芸大など少し規模の大きいもの数軒が展示されていた。それれらは、木製の模型と原図の展示が実にリアルにその建築の成り立ちを伝えるのであるが、僕が見たかったことはそれではない。僕がここに来ようと思った理由は一つ。それは238の住宅を生涯作り上げたその過剰なまでの生産力の根源を知りたかったからである。先週の日曜美術館の予告に吉村が取り上げられ「・・・・・・・生涯238の住宅を設計し・・・・・・」と聞いたとき一瞬耳を疑った。普通信じられない数字である。ライトと同等?
さてその238の生産の足跡とそのエネルギーを展覧会からうかがい知ることはできなかったが、唯一そのヒントとなるように見えたものがあった。それは彼の手帳であった。名刺版程度の小さな手帳にぎっしりとスケッチが描かれているのである。その手帳が6つくらい展示されていた。その手帳以外にも多くのスケッチがあった。吉村自身も写真よりスケッチが重要と語っていたようだ。コルビュジェの手帳を思い出す。彼の手帳もそう大きくない代わり常に持ち歩いているようでなんでも書いていた。もっと言うとダヴィンチもそうだったようだ。
スケッチを多くしていれば生涯200以上の住宅が設計できるというものではないし、200以上作ることがすごいけれどすばらしいことかどうかも分からない。ただ、生涯尽きぬエネルギーは賞賛に値するし、それを持続する方法が何であったかは興味深い。それはもしかするとやはり、山本社長がおっしゃっていたような、好奇心だったのかもしれない。それは手帳を見れば分かる。
さて、研究室の人も、ofdaの人もそして何より自分に対して、建築家のコンディショニングということを考えていかなければと思っている。僕はイチローや松井のことは分からないけれど、数十年前に少し楽器をやっていて、芸大の高校に行くかどうか考えていた。その頃は本当に1年365日練習していた。嘘ではない。家族とスキーに行くときスキー場に楽器を持っていってそこでも練習していた。気が狂っているようだけれど、1日やらないと戻るののに2日かかる。だからはずせない。建築を同じ土俵で芸事として語れるとは思えないし、そんなノーテンキな肉体鍛錬と同じではなくもっと知的で(ということが昨今批判されているが)ニクタイとノーミソを同等に鍛錬していく営為なのだ。しかしそれならそれで、その運動神経と反射神経を常にとぎらせず持続的にトレーニングしなければいけないし、常に最高のプロテインのごときものを飲み続けなければならないのかもしれない。
そう感じたこの2日間でした。