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伊藤君の近作に見る都心居住の二つの典型

このコラムのルールを破ってしまいました。本当は木島さんがスレッド立てる順番なのでこれは増刊号という位置づけでお願いします。

昨日伊藤君の駒沢大学の家を見てきました。少し前に見た経堂の家ともどもなかなか伊藤君らしいストイックな建築で興味深いものでした。そして、その両方の特徴がとても現代的な社会状況を表しているような気がしました。
忘れないうちに少しメモっておきます。

それは一言で言えば、駒沢は垂直的で経堂は水平的でということです。

この二つの性質が現代的な社会状況を表しているというのは、次のようなことです。

先ず現代社会は今2極分化して貧富の差が広まってきていると言いますが、これは正確には4極分化だそうで。縦軸に上昇志向、横軸に仕事志向(対概念は男は趣味志向、女は主婦志向)そうすると四つの象限が現れ、男は、右上から半時計周りに、ヤングエグゼクティブ(若くしてお金持ち)、lohas(lifstyle of healthy and sustainable:上昇志向が強くステータスも金もそこそこあるが、やりたいことをやるために、生きる人たち、文化人的な人はここにはいるようです)、フリーター、spaとなるそうで、一方女性は右上から半時計周りにミリオネーゼ(女ヤンエグ)、お嫁、ギャル、、かまやつ女(個性尊重仕事女)となるそうです。

この分析は元アクロスの編集長してた三浦展によるもので最近出てる光文社新書の『下流社会』という衝撃タイトルの本にでているものです。

さて彼の本は当然さまざまな方から激しい批判を受けているようですが、私の実感では7割がた的を射ているように感じます。

それでこうした階層の中で僕らに仕事を頼んでくるクライアントは大きく二つの傾向を持っているのです。一つはヤンエグ、lohas,ミリオネーゼ系の方たちで、このひとたちは自力で資金を調達して何とか都心に土地を購入し建物を建てるのです。仕事であろうと趣味であろうと、上昇志向の強い人にとって時間はかけがえのないものだから、決して郊外には行かないのです。

しかるにいくら資金潤沢といえども都心に買える土地の広さは限界があるのでせいぜい30坪(連窓の家#1も30坪)そこはたいてい50/100の一住であることが多くそこに容積いっぱいに建てます。その建ち方は必然的に縦方向に伸びていきます。まして都心的状況では隣地も混み合ってますから、視界は上に抜けていきます。

さてもう一つ我々に仕事を頼んでくる人たちがいます。その方とはこのどこかの階層に特定される方ではなく、どの階層か分かりませんが、自分たちの親と共同、あるいはその土地の一部、あるいは下手をするとその祖父母の場所に共同で住むという形態です。一般論で言えば、独立一戸建てはヤンエグ、ミリオネーゼ系によって作られるとすれば、この共同型はそれ以外の階層の方の住居である場合が多いかもしれません。いずれにしても、そのような共同が可能な場合は当然、親、あるいは祖父母の土地が十分な広さを持っている場合が多いのでそこにできる建物はある程度水平的な広がりの可能性を持つことが多いようです。もちろん共同だから常に土地が潤沢とは限らないでしょう。場合によっては都心狭小型となんら変わらないこともあります。ただそれなら新たな土地を探すという行動に移る場合も多々あります。あくまで傾向としてということです。

話は少し長くなりましたが、伊藤君の連作にそうした典型的な都市住居の昨今のパターンを感じました。もちろん自分の仕事にもこれは当てはまります。それはまたいつか説明します。

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