近代は工学が発明された時代である。工学とはengineeringであり、もとをただせば、それはengine、つまり力を動きに変換する装置、平たく言えば乗り物の学であった。船舶、機械(自動車)、そしてその粋は宇宙船である。
しかし、動かないけれど、人間を包む乗り物(容器)としてどういうわけか日本では建築もこの工学の仲間に入れられてしまった。技術の粋としての願いがこめられたのである。しかし、建築は宇宙船にはなれないのである。地球を代表し宇宙に飛び出る宇宙船は地球技術の最先端を際限ない予算を背景に開発される。一方建築は先ずは何十億という人間の住む場、政治の場、経済の場として単なる技術の産物とはなりえないのである。
しかし、そんな状態に業を煮やす技術者が登場するのは当然と言えば当然だ。何故建築が、そんなローテクなわけ?戦後アメリカで突如不要になった軍需産業をもてあました行政の困惑と、技術指向の建築家の夢がアメリカンプラグマティズムに後押しされて次代の建築へ向けて合体した。フラー宇宙船建築の登場だった。技術の粋を集めたテクノ建築プロトタイプの登場である。
さて話は十数年の後日本に移る。民家研究をしていた篠原一男は「民家はきのこ」という有名はアフォリズムを発するとともに建築は敷地から、クライアントから、その他の様々な条件から自由であるべきだと語り、建築を芸術化した。篠原の目指したことは、アート建築プロトタイプの作成だった。
前者は技術を指向する意味でモダニズムであり、後者は建築を諸条件から切断しアート化するわけでその意味では近代合理主義に真っ向から離反する反モダニズムである。しかしその双方が建築の座るその「場」を条件として組み込む姿勢を見せないという意味で共通するところがあった。
これに対し、こうした敷地から切れた建築への反省が、コンテクスチャリズム、リージョナリズム、クリティカルリージョナリズム、という形で建築を思考するツールとになってきた。
建築は建築の外の世界とどうつながるジェスチャーを示せるのか、建築に問われている大きな問題なのだが、それは、外の世界の何とつながるのか、周辺の問題とは何なのかというテーマの選択へと話がずれ込んでいくのである。