2007年07月27日

お知らせ

皆さんご苦労様でした。最後の授業はお題はなしとします。

単位について確認しておきます。
単位取得には下記の条件を満たしている必要があります。
①出席7回以上
②毎週のコメント7回以上
③最終レポートの提出。

上記①②を満たしているのは下記の方です。
後藤健夫、遠藤知裕、大隈亮、須田悠太、向山裕二、柴山浩紀、萩原知子、岡本真祐子、客野洸、岩村賢人、土屋絇子、後藤遷也、中川航、大澤悠子、吉村和也、助川史、坪野圭介、水野香澄、高橋元貴、天内大樹。

これらの方は③のレポートを提出すれば単位を差し上げます。

レポートの書き方については最終講義においてそのスペックの紙を配りましたので分かると思いますが、手元に無い方はメールを下さい(sakaushi@ofda.jp)。返信します。

尚最後まで講義を聴いていただきありがとうございました。異分野の話ですから面白く聞いていただくことを心がけたつもりですが果たして上手くいったでしょうか。一応この話の内容は今年中あるいは来年頭くらいには出版される予定です。本屋で見つけたら手にとって眺めてください。もし余裕があったら是非お買い上げください。また建築に興味を持ち今後論文で建築のことなど書こうなどという方がいましたら是非我々の勉強会に参加ください。参加したい方はメールを下さい(現在は某書物を翻訳中来年出版予定です)。

さて最後にお願いです、この授業の感想のようなものをわずかでも結構ですから記していただければ幸いです。

2007年07月20日

付1 お題

建築の規則は前回で終了である。今回は建築創作の原理ではなく建築を取り巻く状況として建築の先天性と後天性という話である。少し前までは後天的な建築の創作原理があった。メタボリズムなどはその良い例である。しかしそのリアリティが薄れた現在新たな後天建築創作の原理は生まれていない。一方で先天的DNAが薄れた建物に新たなDNAを注入する作業が時代の要請となって現れている。こうした要請は単体の建築で見るなら最近のトレンドでもあるのだが、街という塊で見たときにはこのような作業は実は普通の営みとして古来行なわれていることである。そこで前回の講義の補足を兼ねてそうした街に新たなDNAを注ぎ込むこととその関係性を概観してみた。
話を戻し後天的ニーズを予想した計画が廃れてしまったことを振り返ってみたい。メタボリズムが廃れたのは法的、技術的な問題であると指摘したが、そうした点が乗り越えられればこの考え方は未だに捨てたものでもないと僕は思っている。最近ITアーキテクトの神成淳司と宮台信司による『計画不可能性を設計する』の中では建築家のヴィジョンの欠如が非難されているが当たらずとも遠からずである。少し反省する必要があるかもしれない。
さて皆さんの専門領域において、後天性を計画する、あるいは計画されたものについてそれらを提示しその可能性についてコメントして欲しい。

2007年07月15日

第九講お題

本日のテーマは建築と敷地の馴染みである。馴染みということで言えば昔こんな経験があった。20年以上も前に、高松伸という建築家が織陣という名の小さなオフィスビルを作った。それは京都の町並みの中に突如現れた奇怪な建物だった。真っ赤なたまねぎのような屋根を冠した真っ黒い石の建物であった。その建物は京都の町並みを破壊する暴力とも言われたが、その建物の前に立った僕にはこの赤いたまねぎが先ほど潜り抜けてきた平安神宮の鳥居を思い出させ何かこの街の空気に溶け込んでいるような気になった。無理やりそう思ったのではない。とても自然な感じ方だったと思う。
一方世の中には景観問題なるものがある。ちょっと前には景観法などという法律もできた。その法律は地方行政やnpoなどにより地域に即した条例の作成を促すものでユニークであるとも思う。しかしそうは言っても条例を現実化するには一律な形態や色彩の規制は避けられない。そこにおいては先ほどの赤いたまねぎの様なものは先ず規制対象にならざるを得ないだろうと思う。
われわれはここで法律の立て方を云々することもできるが、それはさておき、町並みの類似性について比較的直感的な嗜好を問うてみたい。京都の町並みのような類似なものの集まりが好きか?東京のようなカオスが好きか?もちろん好き嫌いのレベルだからそれで終わっても構わないが、そこで踏ん張ってその理由を捏造して私を説得してみてほしい。

2007年07月06日

第八講お題

本日のお話は建物とそれ以外の物や場の関係を親父的(exclusive)、オフクロ的(inclusive)という言葉で説明した。そしてexclusiveな状態を作る建築の事例をみるとそこでの創造の原理としては1)プロポーション、2)象徴性、3)ミクロコスモスなどが見受けられた。一方現代建築はプロポーションなどと言うものに余りこだわらない。象徴性を形成するためのコンテクストを共有していない。閉じた箱の中でミクロコスモスを作る茶室のような発想は消滅し、開放的という言葉が標語のように連呼されている。
さて今日のお題である。「exclusiveな何か、inclusiveな何かを発見してそれらがその関係性を他と持つのはその対象がどのような原理によって成り立っているかを分析して欲しい。例を1つ挙げておこう。京都龍安寺の石庭。この庭石は大海に浮かぶ小島のように見立てられる。そしてその象徴性ゆえにこの庭はexclusiveなものと言えると思われる。このような調子でお願いしたい。

さて授業でも伝えたが、補講と見学の日程の確認。補講は7月26日(木)1コマ目。通常使用している教室は集中講義で使用中なので隣の教室だそうである。また見学は27日の午前中。集合場所は追って連絡する。

2007年06月29日

第七講お題

本日は古来建築の主題である全体と部分についてお話した。そして部分と全体の比例を基礎に作られた建築を人間建築と呼び、そうした関係性を捨象し部分の増殖に基づく建築を妖怪建築と規定しその流れを概観した。さらに山崎正和の近著『装飾とデザイン』を紹介しながら、この二つの概念を山崎流に強引に当てはめれば全体はデザインであり部分は装飾になることを説明した。興味があったら読んでみて欲しい。
さて人間はものを構築する上であるいは思考をくみ上げていく上で全体性を無視することは不可能である。設計図に代表される全体性の見取り図は作らざるを得ない。一方でそうした全体性が必然的に導く抽象は様々な思考や造形の断片を喪失させる。こうした批判も部分をクローズアップしているだろう。そこで質問「君たちの専門の分野において(もちろん建築を例にしてくれてもかまわない)部分と全体の思考のせめぎあいについて事例を示しながら解説せよ」

2007年06月15日

休講中のお題#2

入梅しそうにない。梅雨と台風がキライな建築家にとっては幸いである。さて今回のお題は少し考えてもらおう。建築を批評していただく。対象は皆が知っていてかつ新しい建物と言う意味で、最近乃木坂周辺にできた東京ミッドタウン、あるいは国立新美術館。前者の場合その建物群全部でも構わないが、そのひとつの建物。あるいはそのランドスケープでもよい。例えば安藤忠雄の美術館だけというのでもよい。批評の指標は、ここまで講義してきた建築の規則の中のどれかひとつあるいは複数を選びそれをモノサシとしとするか、世の中に流布している批評の方法を用いるか、あるいは自らが生み出した新たな方法論を用いても良い。単なる感想文とならぬように説得力のあるものを期待する。締め切りは6月20日の水曜日である。

2007年06月08日

休講中のお題#1

さてこれから3週間休講となりますが、ウェブレポートは継続します。しかし講義がないのでレポートと言っても気楽な問いを立てることにいたします。今日はこんなテーマです。「本郷のキャンパスの中であなたの最も好きな場所(建築)を教えてください。もちろんその理由を添えて」よろしくお願いします。締め切りは来週水曜日6月13日です。天内さんチェックよろしくお願いします。

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