ル・コルビュジエの開放力

x アレグザンダー・ツォニス、op.cit. p.157

xi ウィリー・ボジガー編、吉阪隆正訳、『ル・コルビュジエ全作品集』第一巻

xii 自作「リーテム東京工場」東京,2005(図5)はピロティ、屋上庭園、そして前節で示した、質料性なども多く考慮した作品である。

xiii 坂牛卓「窓そのメディア性」プロスペクター監修『現代住居コンセプション』INAX出版2005 p.108-109において窓の持つ意味を詳述した。

xiv 自作「連窓の家II」東京2000、「連窓の家II」長野2001では、窓が内外の新たな関係性を生み出していく装置として機能することを意図し、 コルビュジエの横長連続窓を基本に縦横無尽に展開する窓を考案した。

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図5:
坂牛卓 リーテム東京工場 東京 2005

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図6:
坂牛卓 連窓の家#2 東京2000

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図7:
連窓の家#3 長野2001

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図7: 藤森照信(上) タンポポハウス 東京 1995、(下)高過庵 茅野市2004

2.コルビュジエの形式

2.1.環境言語としての五原則
コルビュジエは1926年に近代建築の五原則を発表した。@ピロティ、A屋上庭園、B自由な間取り、C横長の窓、D自由な立面の五つである。 この5つのうち、Dの自由な立面は横長窓の言い換えでもある。またBの自由な間取りは新たな構造においてはもはや主張というよりは結果とも言える。 よって確固たる主張としては@ACの3つと考えてもよいだろう。そしてそれら3つはすべて現在でも色褪せず、いやむしろ更に現代的な意義を獲得し重要度を増しているように思われる。
ピロティ発想の起源はスイス太古の水上住居、ローマの水道橋などと言われるx。そこには自然と共存する人工物の姿がある。 そして建物を地表面から浮かせる意図は湿度を免れ光と空気を取り入れるという工学的な合理性もさることながら、建物によって土地をつぶさない、 あるいは土地の連続性を維持することが意図されているxi。それはすこぶる環境配慮的な発想であるxii
 一方屋上庭園は構造革命によって生まれた平らな屋根の利用がその発想の根源だが、こちらも現代においては、ヒートアイランド現象などの環境問題が屋上緑化を推進しているだけではなく、都市の貴重な土地としての屋上は半自動的に緑化へと向かう運命にあると言っても過言ではない。
 横長連続窓はラーメン構造が産んだ帳壁によって可能となった形態である。コルビュジエがこの窓の利点と考えた明るさに加え視界の広がりがこの窓を爆発的に普及させた。 開口部は建築内外を結ぶ広い意味での環境的価値を担うものであるxiii。加えて連続窓における外部との連続性は現代において様々な可能性がありそうである。 私自身連続窓を基点として新たな視覚の可能性を連窓の家シリーズで模索したxiv

2.2.五原則の射程
ところでピロティや屋上庭園に驚かされるのはこれらが環境に対する一つの技術的な回答であるにとどまらず、およそコルビュジエとは対極的な建築家の手法をもカバーしてしまう射程の広がりである。 たとえば藤森照信のタンポポハウスや高過庵(図7)がコルビュジエの引用とは言わないまでも、期せずして両者の射程に重なるところがある点がモダニストコルビュジエの懐の深さを感じさせる ところである。つまりモダニズム構造革命が技術的に可能にした五原則の射程は、モダニズムの遥か遠方にあったということではないだろうか。 別の言い方をすると五原則はどれもが建築をその系の中に完結させないよう作用する。それらは建築をその周辺環境とつなぎとめるツールとなっているのである。

3. コルビュジエとモス
 アンソニー・ヴィドラーがエリック・オウエン・モスについて「バロックを超えて」というタイトルの短い論考を記しているxv。そこでヴィドラーはモスの建築においてヴォリュームが慣入する特徴に注目し、ギーディオンのコルビュジエ解釈であるところの内外空間の相互慣入と関連付ける。
これは、先ほどの五原則同様コルビュジエにおける建築の外部との関係性の持ち方の現代的意義を示唆している。そしてその意義とは5原則同様、建築を建築という一つの系の中に閉じることなく、その外部環境との連続した系の中に位置づける装置であるというところにあるだろう。

 本論考はコルビュジエの2重性を契機に反近代としての質料再考に始まった。ここでは建築が建築という系に閉じずに受容者との系の中に開いていることを指摘した。そして次に形式としての五原則に光を当て、最後にヴィドラーの示唆する相互慣入を垣間見た。ここでは建築が建築という系に閉じず環境との系の中に連続していることを指摘した。 つまりこれら全体に通底するのは建築を閉塞させない開放力とでも言いうるものである。そしてその開放力にこそコルビュジエがいまだ秘めている可能性があるのではないだろうか。


初出:『DETAIL JAPAN』 vol.15 2007


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