ル・コルビュジエの開放力

ix アンドレ・ボジャンスキー著、白井秀和訳、『ル・コルビュジエの手』中央公論美術出版(1987) 2006 p.97

fig.3
図3:
Le Corbusier, The Unite d`habitation in Marseille 1952:


fig.4
図4:
Le Corbusier, Villa Savoye Poissy near Paris 1931: 人体形の浴槽側壁

1.2.色と偶然性
 前述ブルータリズムのイメージを色濃く示すマルセイユのユニテダビタシオンは表面の肌理に加え、別の質料性である「色」が強く表出した建物でもあった。本来モダニズム建築はハンス・ゼードルマイヤーが言うとおり白が基本であるvii。しかし昨今のコルビュジエ研究が示すとおりviii、コルビュジエはその建築人生の初期から一貫して色を有効な建築意匠上の武器として使用してきた。 そしてユニテではその多くの色の使用に加えその並べ方が特徴的である(図3)。20年間コルビュジエ事務所に勤めたアンドレ・ボジャンスキーはこう述べている。
彼(コルビュジエ)は自分のチームのメンバーを招集して・・・(中略)・・・視覚的に互いをつなぐさまざまな色の付いた線や模様でファサードに描くべきではない。色を偶然に割り当てれば、星座を描く星のようなものが生まれる。だから色は偶然に配されたように見えねばならないのだ。ix( )内筆者
この言葉が示すとおり、コルビュジエは「偶然」なる概念を設計過程の中に織り込もうとしていたことが伺える。モダニズムを支える規則性や「必然性」から逸脱し「偶然」に惹かれたコルビュジエの姿がここにある。

1.3.浴室のエロス
 その昔恩師篠原一男はモダニズムの二人の建築家、ミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエをよく引き合いに出し、ミースにおいては硬質なモダニズムのハードエッジを、コルビュジエにおいてはモダニズム的ではないものを例に挙げて称えていた。そのひとつはサボア邸浴室の人体形をした浴槽側壁である(図4)。この形を「エロティック」と形容し賛美した。篠原は幾何学的ホワイトボックスに無脈絡的に現れる自由曲線にコルビュジエのエロスを感じたのであろう。 一方私はサボワ邸でこの浴槽を見たとき、エロスが漂う理由は単にこの曲線の形状のみに起因することではないと感じた。それはこの曲線が機能的に説明できないところにあるのではなかろうかと思うに至った。つまりそれは使用に適合した形として、形の完成形にたどり着く前の、つまりは形になる前の破片なのである。その意味でそれは未「形」として可能態としての質料の段階なのである。その質料性がエロスを助長しているのだろうと感じた。

 さて、ここまでコルビュジエの反近代的側面として広い意味での質料性や偶然性を再考するコルビュジエの姿を示した。こうしたもの(肌理、色彩、断片、偶然)が現代建築の主要な視点の一角を形成していることは改めて説明するまでも無いだろうがその意味についてもう少し考えてみたい。
 そもそも質料とは建築においてその最終形に至る以前の姿であるから未完である。それに加え色彩や肌理とは光や視点位置との関係でその見え方は大きく変化する。つまり受容者が存在して初めてその視覚効果が特定できる(完結する)ものである。つまり質料性を契機とした建築の現れ方は受容者も含めた系を生み出しその系の中で意味を生産していると言えるだろう。 この系は建築という単一の系の中に閉じていないという意味において「開放系」と呼びうるものであり、この開放性が質料性を現代に位置づけていると考えられる。
ところでコルビュジエにおいて建築の現われ方を多様にさせ、解放させるファクターはその質料性だけではない。モダニズム的な形式性の中に未だ衰えず有効な形式があることに気付く。次にその点について検討してみたい。


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