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ヒスパニックの逆襲

今年のヴェニスビエンナーレはチリのアラベナがディレクターを務め、最高賞である金獅子賞はスペインの二人の建築家、パラグアイのソラーノの事務所、ブラジルのパウロ・メンデス・ダ・ロチャの長年の業績に与えられた。特別賞はペルーへ。そして唯一ヒスパニック以外で賞をもらったがのが日本だった。
ラテンアメリカで多くの人と話してみると明らかに彼らは今回のディレクター、賞について喜んでいるとともに、ヒスパニックのある種のつながりの中で賞を総なめにしたことを認めていた。
ヒスパニックの建築に豊かさや可能性を感じて彼らから学ぼうと走りまわっている僕にとっても嬉しい話だが、冷静に考えると3つのことに思いが至る。
1) ヒスパニックの逆襲とでもいうこのムーブメントがどれだけ続くかは謎である。ビエンナーレのような伝統ある美の殿堂がアラベナを選びreport from the frontのようなテーマが結果的にヒスパニックを称揚するのは最初から見えていたと思う。それを承知で開かれた今回のビエンナーレは幕間的様相を呈しているようにも見えなくはない。きらびやかな建築の形合戦に飽きた世界にダーティーリアルを見せつけるのは展覧会の存続作戦としては極めてまっとうな選択だからである。となると次回はまたあっさりとクリーンリアルに戻る可能性はいくらでもあるだろう。
2) 日本の位置はこうやってみると実に面白い。ユーロセントリシズムをヒスパニックによって相対化するのが今回の企みだとするとここには様々な政治的枠組みが見えてくるのだが、日本は言語的に孤立した文化を保持している。アングロサクソンでもヒスパニックでもアラブでもチャイニーズでもない。孤立しているからこそこうして賞の仲間にするっと入り込む余地を常に持っている(提案がよかったことは当然として)。こうなると日本がイージーにグローバライズしないで鎖国的状況を戦略的に保つことも意味あることかもしれない(もちろん今の状況を肯定するという意味ではないのだが)
3) アラベナを見てもソラーノを見ても現場からの報告という意味では極めて社会的メッセージを放っている。しかし僕はレクチャーで建築は単に社会的産物(フレーム)ではダメなのだと主張した。そしてそこに建築固有の強さが含まれていなければならないつまりどこかをリフレームする必要があることを強調した。ディエゴはそのことに強く理解を示してくれたし、そのメッセージはチリの建築家に届いていると言ってくれた。そして思うが、アラベナにしてもソラーノにしても当たり前だが、単なる社会的産物としての建築なんて作っていない。彼らは恐ろしいほど建築の建築たる所以を追い求めている。ここに来てこのことがよくわかった。

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