アーバンヌード
⚫RCRの橋は向こう岸の街の裏側を露出する。
⚫トヨタ東京本社ビルは背後の後楽園の緑を外堀に捧げる。
⚫みなとみらいの吹き抜けは地下鉄の電車が動いているのをショーのように見せてくれる。
⚫バックミンスターフラーラジオ時代の建築
⚫ガラスの向こう側で何が起こっているのか
Mark Wigley『バックミンスター・フラー、ラジオ時代の建築』Lars muller publisher Zurich 2015 という本がある。きちんと読んでないけれど先日、本人に中国で会った時に聞いたところによれば、電波(ラジオ)が建築あるいは我々を包囲することで、我々の周りにある様々な境界が本来もっていた意味を希薄にしていった。ということのようである。内部と外部、パブリックとプライベート、仕事と生活、つまり本来そこにあるであろう、あったであろう意味や行為や視覚の切断線がラジオによって取り払われたという主張である。
ニューヨークビジネスマンんの半分はベッドの上で仕事をし、携帯テレビ電話は私的空間を破壊する。もはやそんな秘密は秘密でもなんでもない時代である。本当の秘密はラジオにも乗らない、視覚に乗るようなものは秘密でもなんでもない。都市はますます裸になっていくのだろう。そうされることを人々が望み、そしてそうされることで金が儲かる、住人の意識もよりオープンになり、皆で何かを共有することに価値を抱くことが必然的に境界を破壊する。都市はますますヌード化する。古都ウィーンでもそれを考えたい。果たして通用するか?