ズレ
だいぶ前に読んだ北田暁大の名著『広告の誕生』は広告が「どのような契機で広告として現れるのか」を問うている。一般に広告論は広告の意味内容を問うことが多かったのでこの問いは新鮮だった。
それ以来そうした視点の持ち方に惹かれ、建築に当てはめて考えることができるのではと思うようになった。建築の形態も空間も機能も一度横に置き、建築が建築として現れるのはどういう契機においてかと考えてみるようになった。
北田氏は広告の現れの契機の一つとしてコンテクストのズレを挙げていたが建築にもそれは当てはまるだろう。例えば受容する側の心理的なコンテクストや建築自体の物理的コンテクストがあるズレを生むときその建築は現れてくるということである。そう考えると建築とはもしかすると建築自体よりもそうした形式(コンテクスト)をクリエイトすることなのかもしれないと思ったりもする。
夏に見る秋の雲(いわし雲)にふとズレを感じ『広告(建築)の誕生』を思い起こした。http://ofda.jp/sakaushi/diary/