異質なものの共在としてのシェア
編集者の飯尾次郎さん出原日向子さんが最近企画編集した本をいただいた。『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』LIXIL出版2015。編集協力している門脇さんの前書きと、巻頭の西沢大良さんのインタビューと橋本健史さんのエッセイと千葉雅也さんのインタビューを読んだ。
門脇さんの前書きは分かりやすく、近代は世界を分業化した時代でそうやってばらばらになったものをポスト近代は縫合する時代なのでシェアという概念が生まれてきたとすると解説している。なるほど、こう言われるとよく分かるが、昨今のいわゆるシェア・ハウスのような人々が何かを共有するという風潮の説明にはなっていない。その昔日建設計で「共有する価値観」というプロジェクトがありそのまとめ役をやらされほとほとまいった。そんなものありゃしない。あったら80年代という時代が成立しない。そしてその後もまあ難しいし必要もない。と思ってきた。先日バルセロナでパブリックネスを議論する冒頭、司会のオルガはパブリックネスとコミューナルは異なると力説していた。もちろんコミューナルは現代には暑苦しいという意味合いである(と僕は理解した)。
コミューナルな意味合いでのシェアには可能性を感じないと千葉雅也は述べている。むしろ異質なものが同じ場所に共立することの意味と可能性を問うべきであると言う。それなら僕も大賛成である。数十年前の問いも共有する価値観ではなく、異質なものの共在という問いにすれば良かったのである。