反知性的な人
内田樹の『日本の反知性主義』晶文社2015の彼の知性的な人とそうでない人との定義に至極同感してしまう。曰く、知性とは集団的なもので集団の知的好奇心を高め集団が理性的に物事の判断をするようになるための雰囲気と流れを作れる人を彼は知性的と呼ぶ。一方でその人の知的レベルがいかい高かろうと「その人がいるせいで周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしたくなくなる」ようなそんな人を内田は「反知性的」と呼ぶ。そして昨今頭が良いのに、知識が多いのに「反知性的」な人間が日本を跋扈していることを内田は嘆いている。私も同様な気持ちになることが多い。なぜなのだろうか?これは今時の顕著な傾向なのか、昔からよくあることなのか?