« ズントーの本 | メイン | やれることをやろう »

ものの置き方

1502224kawakubo%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
川久保玲が2008年にデトロイトの美術館で展覧会を行っている。タイトルはREFUSING FASHIONである。ファションの拒絶とでも言おうか。そして展覧会場の壁には自分の作品を説明するつもりはないというようなことが書かれている。展覧会を見たわけではないがカタログを見る限り、かなり乱雑に自らのデザインした服が壁に貼り付けられたり、床に置かれたりしている。
ファッションであろうと、絵画であろうと、建築であろうと展示の基本は展示品を分類して、順序を考えてストーリーを見るものに分かってもらおうとするものである。つまり展示品の一つ一つは展示のストーリーを語る言葉でありその言葉同士の接続関係はその並び方である程度推測できるようになっているものである。それはあるときは時系列に並べることにより作者の作品の流れを知らせるものであり、ある時はその作品の特徴ごとに分類することで作者の個性を立体的に鮮明にするものである。
という展示の普通の考え方からするとこれはどうもそういうストーリー(説明)を拒否してランダムに並んでいるように見える。そしてそういう「ストーリーを拒否したものの置き方」というものがあってもいいのだろうと思うに至るわけである。しかし一体そういうものの置き方とは何を欲してなされるのだろうか?(この展覧会がそうなっている確証はまるでないのでこれは想像の域をまったくでないのだが)。
たとえばスーパーマーケットに並ぶ商品というものはだいたい列ごとに商品分類されており、買う人が買いたいものに短時間でたどり着けるようになっている。加えて列と列の関係も近しいもの同士が並んでいる。この列の隣にはきっとこういうものが並んでいるだろうという推測が可能なように配慮されている様に思う。一方ドンキホーテのものの置き方は必ずしもそうではないと言われている。買う人はランダムに並ぶ商品の中をさまよい自ら欲しい物へ辿りつく楽しみ(?)を味わえるようになっている。さらにその彷徨いの中で別の商品に出会う可能性も期待している。
そう考えると川久保がものの置き方の論理性を拒否した(と僕が推測する)こととドンキホーテのランダムな商品を置き方には近しい関係があるように思えてくる。加えてレイアウトというものは必ずしもロジカルに行われているとは限らないししその必要性もない。ということに気づく。ロジックを排除した並び方は思考の彷徨いを誘い、その彷徨いが見る側の内側にある欲求だったり、見方だったりを引っ張り出してくるからである。
最近ものの置き方の持つ意味が気になっている。街並みのようなものを考えてみてもロジックがある場合もあればない場合もあるしどちらがどれだけいいとか悪いとかいうことを言えるわけでもない。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/7455

コメントを投稿