建築は社会の鏡
戦後の中流化から現在の格差化それに建築はどう向き合うのかを考えるのに5年前に書いていた戦後政治、経済、社会、文化年表を取り出してきて睨めっこした。これは吉見俊哉の『ポスト戦後社会』をベースに書いていた年表で吉見は戦後とポスト戦後の分岐点を70年代半ばに置いているのである。一体どうしてとこの本を探したのだが見つからなかった。仕方なく自らのブログを検索すると、なかなかシンプルにその理由が書いてあった。こういう時ブログは便利である。
「吉見俊哉『ポスト戦後社会』岩波新書2009を読む。読みながら年表のようなメモを作ったら、吉見の言う(その師匠である見田も言う)ポスト戦後社会への転換期である70年代半ばという時代が読めてきた。1975年に僕は高校へ入学した。そのころ社会では浅間山荘事件(72)があった。これを起こした赤軍派は戦後社会運動の一つの象徴である(因みにポスト戦後社会のそれはオウム真理教団と著者は言う)。政治では田中首相が逮捕(76)され重厚長大社会は終わりを迎える。70年の大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマ。未だ前進することへの希望があったが、75年の沖縄海洋博は「海その望ましい未来」がテーマ。地球環境への問がこのころから本格化する。71年にニクソンが金ドル交換の一時停止を宣言したことにより変動相場制となり巨額資金が世界を流動する。それまでの高度経済成長経済は、金融グローバリゼーションの渦の中に巻き込まれていく。更に80年代に入り中曽根政権が新自由主義的政策に転換、小泉で極まる。吉見俊哉は高校の二つ先輩だから、似たような時代を生きている人だが、僕にとっては戦後社会が単純に戦後とポスト戦後に2分できるとも思いにくい。もちろん70年代半ばが一つの転換点であることに異論はないが、その後を一枚岩とするにはあまりに大きな変化があった。やはりバブル経済は日本をかなり大きく歪めた挙句に違う位相の時代へ投げ込んだ大事件であったように感ずるのだが」
さてこれを読んでこの本を思い返し、70年代半ばの分岐点をどう見るかだが、つまりこれはモダニズムに終止符が打たれた時期だということなのだと納得した。はなはだ建築的な納得の仕方ではあるが、そのころちょうどポストモダニズムの建築言語が出版されてポストモダニズムという言葉が市民権を得たのである。逆に言うと建築的にとても重要なこのあたりを社会学者がやはり大きな分岐点と見ているということは双方の分岐点が期せずして一致しているということなのだろう。なるほど建築はやはり社会の鏡ということだ。