英語で建築を話し続けた一日
久しぶりに竜安寺、金閣寺などザ・京都を一周した。と言ってもタクシーと電車を乗り継いで外人4人を連れて歩くのは容易じゃない。その上一応ガイドらしきことをしなければならないのでいつもはもらっても真面目に読まないパンフレットに目を通して必死に説明する。そのせいかなるほどそうかと改めて知ることも多い。
帰りの新幹線では明後日のシンポジウムのこともあって真面目な建築の議論を2時間半途切れることもなく行った。ロベルトはどうしても建築の存在論(ontology)について語りたいという。一体それはなにかと聞く。それはその建築が成り立つ場所が持つ社会、文化との関係性であるという。サイトではなくプレースだと言う。そこから話は社会の非対称性になり、、、、つまりは建築はフォームではないというところに落ち着く。
ロベルトにそれは僕らが去年言っていたいことだよねと言うと、だから今年のワークショップではそのことを強調しているのだと言う。僕らの影響なのか????