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東京のイメージ

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早朝ジョギングで外堀の土手を赤坂の方に向かって上智大学の終わりのあたりに来ると向こうに鹿島のビルが見える。一方手前はジャングルのような場所がありそこから赤プリの前のお堀へと繋がっているのが見える。あれそうだったんだ。知らなかった。「上智大学のグラウンドは赤プリ前の池につながっている」。四ツ谷とか赤坂とかは自宅周辺とはいうものの地理的な繋がりが全く分かっていない。これって何故か?
理由1:地下鉄駅周辺は地上に上がったところは知っているのだが隣駅との関係は分かりづらい。
理由2:僕は車に乗らないので道路を介した地上のつながりが視覚的に記憶されていない。
これはおそらく車に乗らない都心居住者には一般的に言えることなのだろうと思っていたら宇野常寛『日本文化の論点』ちくま新書2013で著者が同様なことを言っていた。著者は高田馬場に住んでいるが近くの護国寺や目白台とかあまり知らないと言う。その大きな理由は東京の都心部は車が渋滞するので、人は電車で移動することが多く、そういう人にとって(著者もその一人)町は鉄道で分断され、東京マップが表象されないというわけである。
こういう問題(問題であるかどうかは分からないが)を違った視点から見るとすると、王立アカデミーのレネに言われたように、自転車移動によって表象される町とは何かというテーマが浮上する。確かに毎朝ジョギングの代わりに自転車で一回りすることもあるのだがジョギングと自転車ではまただいぶ見える範囲もモノも違うものである。

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