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68年はポストモダニズムにつながる


やっと解放された一日。ノルベルト・フライ(Frei, N)下田由一訳『1968年―反乱のグローバリズム』(2008 )2012みすず書房を読む。68年と言えば5月革命と条件反射のように覚えていた僕にはその始まりがアメリカであったと言う事実が新鮮である。アメリカでは人種差別とベトナム戦争、パリでは大学に端を発する権力への反逆、ドイツではファシズムに加担した世代への抵抗、日本もパリに近い、いずれにしても、戦後近代の第二の波に覆い尽くされまいといする若者を中心とした抵抗の嵐が60年代の最後に世界中で吹き荒れたわけである。
68年と言えば、当時の世界の建築を記したのは磯崎新の『建築の解体』である。磯崎はこの書を含め、68年を世界のラディカリズムのピークとして位置づけその後70年代、80年代を飛び越えて68年は89年に接続すると記している。
しかし僕にはどうしてもそうは思えない。その理由は80年代に大学時代を過ごしたことへの郷愁などではない。そもそも歴史の20年に意味がないと言うことはあり得ないと思うからである。68年にUFOでも飛来して世界の人間から脳ミソをすべて抜き取ってしまったのならいざ知らず、同じ人間が知的活動を継続している20年間が意味を帯びないと言うことは原理的にあり得ない。
68年が近代への抵抗への嵐であるならば、必ずやその流れが70年代のポストモダニズムの準備へつながり、80年代のバブルへ接続することになっているはずなのである。よく見れば、『建築の解体』にはロバート・ヴェンチューリもチャールズ・ムーアも載っているのである。そしてムーアは昨今、現象学がポストモダニズムに与えた影響分析対象の一人でもある。
歴史的事象は突如天から降ってきたようにおこるのではない。その準備は常にされている。最近ますます感ずることである。

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