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夫婦中庸路線

サラリーマン家庭での専業主婦の家事労働に対する年間評価額は276万だそうだ(立岩真也『家族性分業論前哨』生活書院2011)。と言っても1996年の経企庁の数字だから今はもっと少ないかもしれない。専業主婦なんて言葉はもはや現代では死語のようにも聞こえるが統計的には未だに世帯数の7割くらいはいる。
そもそも良妻賢母の標語の下に女性を家庭に閉じ込めたのは日本近代の産物。かといってこれが日本特有のことだったかと言えば否。ナポレオン法典でも「夫は妻を保護し妻は夫に服従せよ」と謳われた。
日本の特徴的なところは良妻よりも賢母に重点がおかれていたこと。日本国のために命をかけ、学歴社会の中での識者養成が母親には求められた。良妻賢母は近代日本の国策に組み込まれていた。しかし100年以上経ってもそのあたりの事情はあまり変わらない。
今の日本でも相変わらず子育ては母の役目。そして受験勉強をさせるのも母親。そして母の知性が子に伝わるらしく両者の学力には相関関係があるという調査結果もある。母親も大変である。
しかし母親の愛情も仇になることがある。過剰な愛と支援は子供をスポイルする。親の愛は適量がいい。そこで専業主婦も少し働くのがいいだろう。旦那が社会で500万稼ぐなら主婦もがんばって230万稼ぐとよい。そうすれば主婦は家内労働の270万を加えトータル500万の稼ぎで旦那とイーブン。加えて適度な労働は子への愛情も適量とする。
夫婦の在り方は多様で良い。専業主婦も否定はしない。男女全く同権もあり。でもこの不況下、子供をうまく育てながら生活の質もあげるとなればこんな中庸路線も悪くない。

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