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パレスサイドビルと林昌二

「林昌二さんの会」と言う名の会があった。もちろん林さんを偲ぶ会なのだが、「偲ぶ」などというのは林さんらしくないと言うことでこの名になったと司会の安田さんが言っていた。
葬儀もごく少数の関係者で行われたので今日の会もごく少数の方だけで行われるものと思って行ったら150人くらい来られていた。パレスサイドビルの9階アラスカが人で埋まっていた。殆どの方がご挨拶も恐れ多い大先輩ばかりである。高橋てい一さん、長谷川逸子さん、坂本一成さん、木下庸子さん、と建築家の面々に加え、大学教員も大勢。理科大の先生もいらっしゃる、真鍋さん、宇野さんの顔も見える
最初に発起人代表の三栖邦博さん(元日建設計社長)のご挨拶。続いて来賓の内田祥哉さん(東大名誉教授)と池田武邦さん(元日本設計社長)がお話された。林昌二の作品は日建の本道ではなく日建に毒を撒くような仕事だった。それを後ろか着いて行く人が踏まないように慎重に進むことで日建が成長したと内田さんはおっしゃった。林さんの仕事が毒を撒いたかどうかは別にして、林さんの仕事が日建の本道ではないというのは全く同感である。日建はパレスサイドビルのような建物ばかり作っている事務所ではない。もっと地道にお金を稼ぐ仕事を多くしている。林さんが凄かったのはそういう会社の中で自分がパレスサイドビルのような仕事しかしないでいい仕組みを作ってしまったことである。
この建物に、特にこのアラスカに来るといつも思う。天井高が異様に低い。パレスサイドは基準階階高が3600しかない。アラスカのある9階は3400である。天井高は2300~2400である。今時の常識からすれば驚異的に低い。でもこの低さがこの場所の親密感を作っている。会の最後に皆で屋上に上がった。日建に入ったころはただの緑の眺望だったが、あれから約30年、広大な緑(皇居)は高層ビル群に取り巻かれた。こんな壮大な都市の風景は世界中見てもそうはない。
視界の両翼にはパレスサイド特有の二本の円筒形コアが聳え立つ。屋上階から16メートル突き出ている。その中には機械室が3段重ねで入っている。機械室をコアに集約させたことで広大な屋上庭園が可能となった。今時こんなきれいな屋上も少ない。そして背の高いコアは外観のプロポーションにも寄与している。日建の建物は中から考えるから外観のプロポーションに無頓着と言われる。でもこの建物はこの太ったコアを突出させることでスレンダーに見せ、ガラスの水平性のエンドにアクセントを与えている。基準階のコア内部も毎度思うが良く出来ている。丸いエレベーターホールの周りにトイレがありPCのスリットから自然光が入ってくる。丸い平面形なので複雑なクランク無く中の見えないドアレストイレが可能である。エレベーターホールには9台のエレベーターに対し呼びボタンはホール中央に二組あるだけ。人の行動を読んだ設計である。いつまでたっても古びないデザインというのはこういうものを言うのだろう。
やはりパレスサイドは林昌二の(日建のではなく)代表作である。

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