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地位の一貫性が低い社会

中国の近世である宋の時代にはすでに身分制が無くなっていたというのになぜ江戸時代に身分制が残っていたのか?これは大事な問いだそうだ。そしてその答えは、江戸の身分制は「地位の一貫性が低い」身分制で、上の身分でも貧乏、下の身分でもお金持ちという可能性を秘めた身分制だったからと言うのが答え。よって強烈な不満の高まりが起こらず、革命的な力が社会にたまらなかった。というのが与那覇潤の説明である。「武士は食わねど高楊枝」とはよく言ったものである。
逆に宋では、身分制は無いものの科挙に受かり高級官僚となった人物は尊敬され、金も集まり、権力もあるという人間の欲するもの全てが集中する社会。すなわち「地位の一貫性が高い」社会だったという。
さてそう考えると日本と言う社会は江戸の延長のようなところもある。だいたい尊敬される(とされる)職業はとんでもない高給に恵まれない。逆に外資系企業で莫大な資産を築いたビジネスマンがその資産を理由にリスペクトされるかと言えばそんなことはない。
アメリカなどでは(少なくとも僕が留学していたころは)社会で最もステータスの高い職業は金持ちビジネスマンと教科書に書いてあって驚いた。ステータスもあって人から尊敬される人が大金持ちになるという社会は強力なヒエラルキーが生まれそうでちょっと恐ろしいと感じたものである。
江戸的階級性を全肯定はしないけれど地位の一貫性が無い方が何か救われるような気もする。そのために日本では更に政治家(国家公務員)の給与はせめて半分くらいにし威信はあるが金は無いを実践させるべきである(いや逆である。金を餌に人々のしもべになりたいと欲する方を探すことは不可能だ)。
ところで建築家なんて職業は威信も無いし金も無いし最悪である。何がよくてこんな職業が存続しているかと言えば、唯一表現の自由を実践できる可能性があるからに他ならない。だからそれさえも失うなら建築家なんて本当にやる意味ない。

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