多木浩二とディビッド・スチュワート
恩師ディビッド・スチュワート夫妻らと二子玉川でお会いし食事をした。10+1ウエッブサイト上の八束はじめによる多木浩二追悼文にスチュワートさんのことが書かれていたので持っていった。それによれば多木浩二はポストメタボリズムの批評家であり、70年代の磯崎、篠原を切り口に建築評論を始める。しかし最後まで彼らに的を絞り、それ以外では篠原スクールの伊東、坂本、長谷川程度までしかつきあわなかった。そんな風に、磯崎・篠原をトップアーキテクトとして描いたのは多木さん以外にはスチュワートさんがいた(The Making of Japanese Modern Architecture 講談社インターナショナル1987)。しかし多木さんとスチュワートさん2人の見方は異なっており一方多木さんは2人の観念と詩学の連動のメカニズムに関心があり、他方スチュワートさんは2人の中に古典主義的な骨格―建築性―があることを重視していた。それゆえスチュワートさんは篠原スクールの方にはさして関心がなかったようだと述べている。という意味を伝えると「そんなことはない坂本さんにも関心はある」とぼやいていた。