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テレビはテレビじゃない時見る価値がある

テレビから流れる悲惨な状況に何かせねばという気持ちに駆られる。駆られながらも今ここでどうすることもできないジレンマも存在する。でも湾岸戦争や、9.11の時はそうした切迫した気持ちになはならなかった。遠い世界だからという理由なのだろうと思っていた。しかし和田伸一郎『メディアと理性』NTT出版2006を読んでみたらどうもそれだけではないことが分かってきた。
和田はベトナム戦争の写真と湾岸戦争のテレビを比べ、前者は人を駆り立て反戦ののろしに火をつけたが後者は人を駆り立てないと指摘する。そしてその理由を3つあげる。
① テレビを見るリビング空間とは家族が団欒する場所であり画像に真剣にのめりこむ場所ではないから。
② テレビのニュースは4コマ漫画のようにさっさと画像が切り替わりこちらに思考する時間を与えないから。
③ テレビニュースがしつこいほどに露呈する画像に見る人は慣れてしまうから。
これらはテレビが1世紀くらいの歴史の間になってしまった結果的状況なのだが、それらによって我々はテレビニュースの悲惨な状況に無頓着になり何のジレンマもなく居られるようになってきた。最初にテレビを見た人はきっとジレンマにさいなまれていたはずである。慣れていなかったから。我々は画像の向こう側を見捨て、テレビは我々を見捨てたのである。
そう私は湾岸戦争を見捨て、9.11を見捨てていた。しかし今回はどうも違う。同じテレビではあるが僕は昨夜ホテルの1室でニュースを見ていた。しかも4時間近くである。画像の中にのめりこみ、建築と、人の生活とそして自分の職業について考えざるを得なかった。いくら考えても答えの出ないようなことを4時間考えるはめに陥った。そして分かったのだが、昨晩は①から③が起こらなかったのである。昨晩のテレビはテレビではなかった。状況は予測を大きく超えてしまいテレビはやろうとしたことができなかった。状況に振り回されるだけだったのだ。それが僕をして考えさせたのである。テレビはテレビではなく、やろうとしているこができない時、やっと見る価値を持ったものになれるのである。

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