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後期近代の眩暈にリアリティを感じる

午後Tさんと設計打ち合わせ。いいこと言うな。スタディが増えるのだが良くなるスタディは大歓迎。ありがたや。
夕方ジョック・ヤング(Young, J.)『後期近代の眩暈』青土社2008を読む。後期近代とは1960年代後半以降のことであり、そこでは社会が包摂型から排除型に移行し始めたという。そしてこの排除型社会の惨状を著者は眩暈(vertigo)と言う言葉で表現している。資本主義の急速な進展とグローバル化は仕事の効率化を生み必然的に人員削減を招き失業率を上げる。加えて構造的世界不況がそれに追い打ちをかける。そこでは経済的に不要とされるアンダークラスが生まれるだけではなく、逸脱行為に対する不必要なまでの不寛容さが蔓延すると指摘する。経済的な崩壊は家庭も壊し、離婚率も上げ、シングルマザーも増加させる。そうした家庭は経済的に困窮しその子供は満足な教育も受けられないという悪循環を生む。そしてそういう子供を排除する社会が生まれていく。そういう子供の逸脱行為は普通の家の子供のそれとは同等には扱われない。
要は世の中の歯車に乗れない多くの人々を排除する社会が構造的に世界的に生まれてきたということなのである。ジャック・アタリの『国際債務危機』を読んだ後だとこの眩暈がリアリティを持って響く。しかし、こんなことがまかり通る社会は断じてまずい。

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