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自由の平等

朝から推薦入試。北は北海道、南は徳島まで広く受験生が来た。最近はネットに様々な情報があるせいか、志望動機などがとても具体的である。午後まで会議が続く。夕刻、昨日同様4月から僕の部屋の学生の面倒を見てもらう先生に学生とご挨拶。昨日は歴史の先生。今日は環境の先生と心理学の先生。学生の研究計画を聞いていると未だ多少頼りないところもあるが、今日の学生達はなんとかなるだろう。夕食後アルゼンチンブックレットのチェック。これで日本語部分は完成。これをアルゼンチンに送り香川君に翻訳を頼むことになる。彼が帰国する前になんとか印刷に回せると有難いのだが。時間との戦いだ。8時半のアサマに乗るつもりで駅にきたら20分発だった。最近は乗り遅れが多い。最近自分ではないような事がいろいろ起こる。更年期障害だ。福岡伸一が週刊誌に男性更年期障害のことを書いていた。シールのように貼る男性ホルモンの薬があるとか。アメリカじゃ大事なプレゼン前にそれを貼るビジネスマンも結構いるらしい。しかし日常の凡ミスを避けるには毎日貼らねばならないのだろうか??
帰りのアサマで『自由の平等』を読み続ける。著者の主張は間単に言えばこうである。福祉社会とは強者の獲得したものが弱者に再分配される社会である。そのとき強者は「妨げられない自由」を主張する。一方弱者はその立場にいるのは生まれつき、あるいは社会的にそうなっているのであり「できる自由」を主張する。一般に「妨げられない自由」こそが自由であるとされるが「できる自由」はそれと同等の自由であるとするところが著者の主著の肝である。それが本のタイトルである「自由の平等」を意味している。この発想のポイントは人の存在=社会的存在と認める点である。もちろん無人島で孤独に生きる人間にこんな倫理観は不要である。しかしそういうケースは稀であり社会的存在を背負っていることが人間であると認める限り著者の主張は正しい。
リバタリアニズムへのベクトルが方向転換して素直に著者に頷けそうになってきた。

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