オリンピックのデザイン
午前中のあさまで長野へ。駅からアルゼンチン建築展の会場であるボンクラへ向かう。会場には担当の学生が数名いた。会場を一通り見終わったころにお客さんが入ってきた。家族3人連れ。どこかでポスターでも見ましたか?と聞くと、歩いていてふらりと入ったという。その割にはとても熱心に見てくれた。ブエノスアイレス、長野、京都のセームスケールの都市模型が分かりやすくて面白かったと感想を聞かせてくれた。
ボンクラを後にしてぶらぶらと表参道を歩いて下ると左側に冬季オリンピックの表彰会場が今でも残っている。明日ロベルトが来たら、「ここが1998年冬季オリンピックの、、、、」と説明するのかなあと思いつつ、それにしては表参道の中央にただの駐車場と化した錆びついた会場はあまりにさびしいと悲しくなった。長野へ来る車中、原研哉の『デザインのデザイン』岩波書店2003を読んでいたのだが、その中に長野オリンピック開会式のプログラムデザインが載っていた。それは、それはとてもよくできた繊細なデザインである。日本語の縦書きと外国語横書きがブロックの塊のごとくグラフィカルに配置され、しかも印字された部分の紙が薄くなり透けて見えるように工夫された紙を使っているのだそうだ。それは雪と氷を連想させる工夫だとか。グラフィックがそれだけよく考えられているにもかかわらず、建築は何してるの???とイライラした。
駅でそばを食べて大学に来てネット上でワークショップによるいろいろな出費の購入伝票やら旅費伝票などの整理をする。異様に煩雑なこの作業にまたまたイライラする。こんなにインターフェースが不親切で手間のかかるソフトって未だにあるのだろうか?この手の伝票は毎日打ちこむわけではないのだから、そのアプリに慣れるなんて無理である。考えなくても打ちこめるようなデザインになってなければ使えないよ!!