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菅平で建築を考える

午前中、学科の先生4人で菅平へ向かう。繊維学部が使用していた研修施設をもはや使わないと言うことで建築学科で譲り受けた。まだ立派に使える建築物。300㎡くらいあり、2段ベッドルームから大部屋和室といろいろある。使う以上は維持管理しろと言うことで先ずは草刈りをしにやってきた。ガソリンエンジンのビーバーで4人で約4時間。雑草、雑木を根こそぎ切り倒し、草むらの中の研修所を土の上に蘇らせた。それにしても菅平まで上がると空気がさわやかになるし温度が5度くらい下がった感じ。この季節菅平はラグビー一色染まっている。草刈りしていたらラグビーボールを二つ発見。先生のうち一人は東大ラグビー部だったので目の色が変わる。
12時に仕事を終えて下山。車の中でこの施設の有効利用のアイデアがいろいろ上がる。「先ずラグビーチームを作ろう!!」「サッカーチームも是非」「コンペ合宿!」「模型はいくらでも作れるぞ」などなど、さてどうなることやら。大学に戻ると研究室の学生から学会コンペの2次審査に通ったとの嬉しいお知らせ。めでたしめでたし。大会に行くモーチベーションが上がるね。昼をとってから東京へ。アサマ車中『東大式世界を変えるイノベーションのつくりかた』を読む。観察のしかたについての注意点が参考になる。
1、 はじめての気持ちで臨む
2、 見たものだけを記述する、解釈を加えない
3、 人中心のことばでまとめる
4、 観察対象は両極端を選ぶ
何かの建築を作るためにそのユーザーを観察することがある、あるいはその敷地を観察することがある。また、公園設計をする時(今まさにしているが)そこを通る人を観察して、敷地を観察しなければいけない。そんな時にこれらの注意点はとても貴重である。現象をありのままにテープレコーダーやビデオのように記述するということである。

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コメント

現象をありのままに記述すると言っても、そこに編集が入ってしまいませんか??きっとそのあたりの現象の料理の仕方にセンスが現れるのでしょうね。

もう私は研究からは離れてしまいましたが、何か始めるときには「観察項目を絞れ。」と言われるのが常でした。最大の理由は観察項目が多すぎると、研究予算を早々にオーバーしてしまう、というところだとおもうのですが。
でも同時に「すべての症例(患者)について生データに一通り目を通せ。」とも言われました。これが、現象をありのままに記述せよ、に通じる部分かな。じっくり生データーを読み込むと、今回研究対象で無かった部分にもヒントがありますものね。

編集を極力減らす努力だと思うのですが(原理的には無理だろうと思うけれど)。医学の観察に比べると、建築の観察はもっとおおざっぱで定性的なものになりやすいものです。でも定性的な観察って凄く主観的になりやすい。
ここでの警鐘は対象が建築ではないのですが、主観を排除する技として読めるので、ああ建築に応用可能だなあと思ったところです。

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