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死と日常

明け方暑くて4時ころ目が覚めた。CPUを見たらアルゼンチンの翔勲からメール。返信してから寝ようとしたが寝られないので池田晶子『事象そのものへ』トランスビュー2010を読み始める。「事象そのものへ」というタイトルは昨日読んでいた『世界を変えるイノベーションのつくりかた』の観察の注意点に共通する。先入観をとりはらい事実をそのまま記述せよという指摘そのものにも聞こえる。そう思って読んだらこの言葉はフッサールの合言葉だそうで。現象学そのもの。つまりイノベーションに現象学的態度は不可欠ということになる。ということはさておき、僕は池田晶子の本を始めて手にしたのだがとても印象的な二つの主張に出会った。一つは死を伴侶としない哲学には力がないということと、もう一つは常識を深化するところに哲学は発生するということである。そんなのどこが印象的なのかと問われればきちんと答えられそうもないのだが、人間が何かをいいとか悪いとか価値があるとかないとか言うのは何だってきっと相対的なものでしかない。ダイヤモンドだってガラスよりきれいかもしれないけれどあれに絶対的な価値がある訳ではない。でも人間の生には絶対的な価値がある。死にはもちろんその逆の価値が付きまとう。また人間の思考の原理が日常の延長上にあるのか超越的な何かをもとにするのかはそう簡単に決められることではない。いや僕は超越的な何かを否定するつもりはないし、それがあるとも思っている。でもそのことは日常的な思考を無化するわけではないし、むしろ僕らが生きていく原理は日常の延長にあるべきだと感じている。そうした日常普通に思っていることが記述されていることが印象的だったと言うことである。

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