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プロの建築家とは?

午後からA0勉強会。翻訳だけはとにかく粛々とやるしかない。マラソンみたいなものである。今日は事務所がコンペ提出前でバタバタしてそうなので我が家でやることに。自宅の方が静かだし気持ちいい。終わってから選挙へ。四谷駅の脇に建っている廃校になった小学校が投票所。7時でも未だ来る人が後を絶たない。
帰宅して昨晩読んでいた森博嗣『小説家と言う職業』集英社新書2010を読み終える。数年前、娘がこの人の小説が面白いと持って来た。読まずにいたら一カ月たってまた数冊持って来てこう言う。「この人大学の先生だよ」と。凄い人もいるものだと思っていたら、また数ヵ月後数冊買って持ってきた。「この人建築学科らしいよ」という。ますますビックリした。一体どこの大学だか知らないが凄いと思っていたらこんなタイトルの本が並んでいたので大学教授の生態をしりたく興味深く読んでみた。著者はそもそも文学少年でもなんでもなく、ピュアに金儲けをしようと思って小説を書いたらしい。数か月で一冊書きあげ講談社に送ったら数カ月たって出版したいと言われた。その時には既に二作目を書き終わっており、最初に出したのは四作目で次に一作目二作目三作目とだしたようだ。そして問題の収入だが、初年度は三冊出版されその印税は大学の年収の倍。翌年は4倍、3年後は8倍、4年後には16倍になったそうだ。それは一億を超えたということである。凄い。それでも大学をやめてないと言うところが輪をかけて凄い。毎日1時間書いて一カ月に一冊出せるという能力に脱帽。
さてこの本の第二章は小説家になった後の心構えとなっている。これは建築家に置き換え可能と思いながら読んでいた。小説家はデビュー作の後作家であり続けるのが難しいのだそうだ。編集者によると、十年以上続けられる人はほんの一割。もちろん一生作家専業で食べているという人はひどく少ない。それは建築にも当てはまる。一生建築家専業で食べていると言う人はどのくらいいるのだろうか??まあ建築の場合作家と違って駄作を作っても突如売れなくなることは無い。営業で作品の質をカバーしている建築家は沢山いる。そういう輩はまあ除外したとして、建築では兼業して(例えば大学の先生やって)収入の波をカバーしている人たちが沢山いる。そういう人たちは作家の基準から見れば僕も含めて全員プロ失格である。大学で費やしている時間は建築の創作に無駄とはいわないが100%寄与しているとは言えない。つまり事務所で考えている時間に比べれば無為な時間をすごしているわけだ。因みに林昌二はとある大学からのオファーをプロであり続けるために断ったと先輩から聞いたことがある。おそらく磯崎新や伊東豊雄もオファーがなかったと思いにくい。しかしそれを拒否し続けたのだろう。凄いものである。

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