武田光史さんのコンプレックス
午後武田光史さんのオープンハウスに伺う。場所は中目黒。この駅に降り立つのは初めてかもしれない。目黒川のほとりにできたコンプレックス。2階までオフィスと飲食、3階から6階まで集住。ファサードに一工夫。オフィスの表情と集住の表情を一つにまとめるためにカーテンウォールでできた手すりが使われ、そこにアクセントとして戸境壁を色つきガラスで薄く入れているところ。これはやられたという感じである。戸境壁はたいていちゃちなパネルでデザイン的には見られたものではない。こんな色つきガラスを使うなんて気が付かなかった。と思って住戸に入ってみると。誤解だった。色つきガラスの奥にもう一枚壁がありそこに隣戸避難の壁がついていた。「ガラスは割れないよ!危ないし」と言われ、そりゃそうだと思う。ユニットにはメゾネットが一つだけ。「メゾネットを沢山作ろうかとも思ったけれど、階段の上下動は疲れるからねえ」と武田さんらしい。さらっとできた大人建築である。帰りは四谷でジム。久しぶりにヒップホップやったら思い切り疲れた。
行き帰りの電車で大塚英志の『大学論―いかに教え、いかに学ぶか』講談社現代新書2009を読む。著者は数年前から神戸芸術工科大学のまんが表現学科の先生になった。その教えぶりと学びぶりが描かれている。大塚さんも僕と同じく東京から通う。帰れなければホテルに泊まる。4時に起きて飛行機とか最終の新幹線で東京など、なんともハードな生活のようである。そして教えるのがとても楽しそうで、教えることへの情熱や、学生への愛情が伝わってくる。きっといい先生なのだろう。ただ5年目くらいまでは物珍しさや好奇心も手伝い教えるモーチベーションは誰でも高い。問題はその後。教えることも自己実現である。教えたことの効果がでてナンボのもの。撒いた肥料やら水で植物が育つのが見えればやりがいを覚える。見えなければさびしいし萎える。大塚氏もそういう感覚を持つ時があるかもしれない?いや氏ならば、効果が見えなければどんどんちがう教え方を考えていくようにも思う。そう、そうありたい。