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大雪

8時の鈍行電車で直江津へ。そこから北陸線で金沢へ向かう。ところが、また信越線が止まった。大雪のためロータリー車が出ているというアナウンスが車内に流れる。「ロータリー車」というこの響きが妙に懐かしい。幼稚園児の時に眺めていた電車図鑑の絵が蘇る。あんなものが本当に動いているなんて!と思ったら本物を見た。まるで生きたシーラカンスを見るような衝撃である。屋根の上に1メートル、屋根の下に3メートルの雪が積もっている。電車の音は雪に吸われ、車内は薄気味悪いほどの静寂である。読書するにはちょうど良い。神林恒道・仲間裕子『美術史をつくった女性たち―モダニズムの歩みのなかで』勁草書房2003を読む。女性は古来アートの創作対象にはなっても創作主体にはならなかった。というのが一般的な言われ方である。しかしそれは本当なのか?「いるだろうこういう人も」。と歴史を再探索したのがフェミニズ美術史の始まりのようだ。しかしどうもその問いには限界があった。例えばエコール・デ・ ボザールは19世紀の終わりころまで女性の入学を禁じていたそうだ。その理由は笑っちゃうが、男性裸体デッサンがあるから。しかも女子学生が男性裸体を見ることが問題なのではなく、男性裸体を見る女子学生を見る男子学生がいると言うことが問題だったようだ。とまあその滑稽(と思える)な理由はさておき、女子が偉大な芸術家になる登竜門を通過できなかったことから考えても、女性芸術家の絶対数に限りがあったのは事実のようである。そこで本書は20世紀になってからやっと前線で活躍できるようになったアーティストからディーラーからパトロンまでおよそ女性であれば論考の対象として、彼女らの苦悩やら変革やら読み解き方を考察している。最近ジェンダーものを意識的に読んでいるが、日本ばかりか「ヨーロッパもそうなのね!」ということを再認識させられる。6時間電車と待合室を往来し、なんとか金沢に着いた。融雪装置で溶けたびしゃびしゃの雪の中を学会へ向かう。1時間遅れて北陸建築文化賞の審査に加わる。来月は現地審査。この支部は広くて不便な場所が多く車の無い私のようなものは最悪である。審査場所まで東京から行っても、長野から行っても4時間かかる。しかもボランティア活動である。そう言えば今日の交通費も出ていない。6時ころ学会を後にして駅へ。なんとか最終のはくたかに乗れた。今日はもう金沢に缶詰かと思ったが電車は動いていた。帰りは疲れたので内田樹の本を読む。阪神震災時の話が書かれている。内田氏は神戸の大学の先生をしているので大学は地震直撃だったようだ。彼は復旧のため1カ月土方作業に明け暮れた。教員の中には土方は教員の契約に入っていないと言って休講=お休みを決め込む人もいて、そういう人に限って、とりあえず大学が使えるようになるとばりっとネクタイを締めて教授会の席で「この震災から何を学ぶか」などと発言した。彼はそういう発言をまじめに聞く気になれなかったと言う。なるほど人間には土方型とネクタイ型がいるわけだ。はなはだ単純な二分法だがこの切り口で分けられた二種の人種の差異は鮮明である。もし僕も同じ状況になったらきっと土方型だろうなあと思う。恐らく、土方型はネクタイ型ほど功を成すことはないだろうから(内田氏は成しているが)、理性が働けば僕もネクタイ型になるかもしれない。でも理性の前に体が動くのだと思う。なんて書くと坂牛はなんて熱い奴なんだ、なんて思われても困るのでやっぱり僕はどう行動するか不明ということにしておこう。でも心の中は内田的である。その意味ではこの人けっこう気が合うかも、と思うのである(この本全部読んでいると、余りに同じことの繰り返しと、彼特有の言い回しが最後のころには鼻につくのだが、、、)。

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