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リヴァイアサン

ナカジが話題の本と教えてくれた稲葉振一郎の『「資本」論』ちくま新書2005をぺらぺらめくると先日読んだ『社会学入門』と全く同じことが丁寧に書かれている。たくさん本を書く人はこういう風にたくさん書くわけだと頷く。載っている図版まで全く同じなのには少々びっくりであるが。
この人の話で面白いのはホッブスが『リヴァイアサン』で言うところの「自然状態」の解釈にあり、この「自然状態」がロック、ヒューム、ルソーにおいてどのように取り扱われていて、誰の議論が一番リアリティがあるか?というあたりである。
「自然状態」とは、人は放っておくと自分の欲求のままに行動するという状態のことである。そこでホッブスはその状態を放っておくと戦争状態になるから「自然法」を作って人をしばり、戦争をやめさせなければいけないと言う。しかしロックは、そうは言っても人間は馬鹿じゃないから自然法は意図的に作らなくても自ずとできると主張する。さらにヒュームに至っては、ロックの議論をさらに進めて未だかつて人間が「自然状態」におかれたことはないという。
ヒュームの議論はしかし理性的な人間には当てはまるものの、いまだ感情を理性で抑えられない子供社会では通用しない。ここでは立派に自然状態が存在する。毎日がけんかである。なんて考えていたが、いやそうでもない、子供世界にはとどまらないと思い直した。最近そういうことを感じる大人に出会うことが多い。大人世界でもやはり理性を感情が乗り越えてしまう人たちの間には立派に自然状態が発生するようだ。であればヒューム的世界の方が好ましいと思う僕だが、やはりリヴァイアサンには登場していただく必要があるのだろうか?と少々憂鬱な気持ちになってしまう。

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