Casa Curutchet
今日は喜納さんの案内でブエノスアイレスの南60キロにあるLa Plataへ向かう。ブエノスアイレスの市境を出るとそこはパンパ(壮大な草原)である。40分くらいで到着。ここはブエノスアイレスの州都。ブエノスアイレスへの一極集中をさけるために19世紀末に計画された都市。この都市の計画者のベノイトがフリーメーソンであることから、フリーメーソンのシンボルを模して正方形の街に縦横のグリッドと45度ふられた斜めの道が大きく十字に入れられた(コルビュジエのボワザン計画のようである)。
Le Corbusier Casa Curutchet La Plata 1955
ここにル・コルビュジエのデザインしたクルチェット邸がある。市の南端の広場に面して建つこの建物は1955年に完成。戦後のコルビュジエの住宅にこういう白い繊細なものがあったとは知らなかった。今はラプラタの建築家協会が管理し見学できるようになっている。今日は地元の建築学生300人が順番に見に来ておりラッシュである。
建物は地下の受水槽から始まりすべての個所が見られる上に、長い間空家(医者であるクルチェット氏の奥さんがこの家を嫌い住まなかったそうだ)になっていたにもかかわらず保存状態がかなりいい。外部に面するところを含めてすべて木のサッシュ、外部のスロープに設置された木の握り棒、室内だが吹き抜けに面する寝室に付けられた可動ルーバーなどがほとんどオリジナルの状態を維持している。アメリカ大陸にもう一つあるコルの建物であるカーペンターセンター(1952)のブリーズ・ソレイユ、細い丸柱、開放感などがここに現われている。
じっくりと2時間ほど見ることができた。伊東豊雄さんも2度ほど来られたと聞いておりどうしてだろうかと思っていたのが、来てみるとまた来たくなる気持ちが理解できた。僕もまた来たい。4時に展覧会場にもどりケーブルテレビのインタビュー。ラプラタからの帰りが渋滞、4時ぎりぎりに滑り込む。テレビ局のクルー2人と館長のビスマンが待っていた。Zona comunicacionというカルチャー専門のチャンネルだそうだ。インタビュアーがスペイン語で質問し、喜納さんがそれを日本語に訳し、答えは英語でお願いしたいと言われる。日本語の部分はカットするとのこと。この展覧会での日本建築のキュレーションの正当性、などなど20分くらいのやりとりをした。まあカットされると3分くらいになるのだろうが。
終わってからビスマンとカフェに行く。どうしてこの展覧会のタイトルをantipodasとしたのかを初めて聞いた。これは文学作品からとったタイトルで、Alessandro Baricco のSilk(イタリアの商人が日本から絹を持ち帰る話らしいが)にこの言葉が使われていたので借用したとか、英語版があればぜひ読めと言われ、さらにブエノスアイレスを理解するための一冊を紹介された。それは Juan Jose SaerによるEl Rio Sin Orillaという本。英語訳があるはずだという。直訳すれば縁の無い川となるが、つまり対岸の見えないラプラタ川に思いを馳せたアルゼンチン人の幻が描かれていると言う。
大雨のパレルモ(カメラが濡れる)
その後車でボルヘスの育った町パレルモを案内してもらう。ここは黄熱病の流行で多くの人が亡くなり廃墟化した後、30年前にアーテイストが住み始めたところ。そこへ、ファッション飲食が集まってきて市民の散歩、ウィンドウショッピングの場となったそうだ。
一昨日のSCAでの講演はすでにSCAのホームページ上にアップされたそうだ。素早い。
http://www.socearq.org/index.php/actividades/debates/desde-japon-taku-sakaushi-en-la-sca.html