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学校嫌い

ゼミと製図を終えて夕方のバスに揺られ帰宅。車中奥地圭子『学校は必要かー子供の育つ場を求めて』日本放送協会出版1992を読む。著者は22年間公立小学校教諭を務めて退職しフリースクール(登校拒否児童が勉強する場所)を作り20年という人。その道の草分けである。子供の自治と自由と個の尊重をポリシーにし、カリキュラムから会報誌まですべて生徒が決めて作る。そうやってできたカリキュラムに対しても出席は自主性に任すと言う。22年間の教諭生活で学校がどんどん管理化され効率化されるそのざまを見続け、タイトルである学校が必要かという疑問にぶち当たったようである。
こんな話を聞くと人ごととは思えない。大学でも似たようなことが起こっているからである。われわれのところでも学生だけではなく先生も含めて相談を受けるセラピストとして専任の教員を4月から雇用した。大学側からあまり詳しい説明はないものの、なけなしの金をはたいてこうした方を雇うにはそれなりの事情があるからである。僕の目が届くところでもそういう問題を感じないわけではない。そしてそういう学生たちに我々の学生時代の気分で接するのもはばかられる。僕らの時代は単位を落として下に行く奴はまあいたかもしれないが、大学が好きになれず来られなくなるものはいなかった。だいたい大学なんて言うところをたいそうなものだとは思っていなかったし利用するところだと思っていた。嫌いな学科やつまらないけれど取らざるを得ない単位はいかに楽してとるかを知っていた。それでもうまくいきそうもない奴らはギブアンドティクでレポートなどかきあっていた。まあ簡単に言えば大学に管理されてなるものかと思っていたし、大学なんてなんぼのものよと思っていた。でも今はそうでもない。大学に押しつぶされそうな子たちが散見される。それはいまどきの学生がか弱くなったということでもなく役所、大学、親がどこが始発と言うこともなくみんなでお互いの首を絞め合いながら知らぬ間に管理強化しあっているのである。まあここまで言っといて無責任だが、だからと言って自分が、何かを直接的に行動に移せるわけでもない。しかし少なくともそう言う学生にはそれなりの対処をしてあげたいとは思うところである。

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