パーソナリティ障害
朝ゼミ、午後製図。体力がいるなあ。その昔明治大学で非常勤講師をしていた時、当時明治で教えていらっしゃった香山先生が退任された。その時の理由が「製図は戦い。しかし自分にはもう戦う体力がなくなった」だった。確かに製図は戦いかもしれない。学生の持ってきたものにとっさに何かを言わねばならない。それは瞬時の判断力であり、まさに戦いさながらである。
夕食後読みかけの『パーソナリティ障害』を読み終える。世の中には人格障害なるものが14種類あるという。一個一個事例を読んでいくと、こんな人間は周りに結構いるような気になる。つまり人間は程度の差こそあれ、人格障害の素質をもっているのではないかと思うにいたった。クライアントである社会福祉法人の理事長に先日聞いた。「誰でも入れる保育所と養護施設が同じ敷地にあるのはどうしてですか?」と。すると「保育所に預けられる子供は可哀そうなことに親のスキンシップや対話が減り、多かれ少なかれ養護施設に預けられる子供同様の心の痛手を負うことになる」と言うのである。病と病でないことの境界線を引くのはとても難しい状況にあるという。そして現代社会が要求する夫婦共稼ぎがこうした状態を生み出しているのだから、心の病は現代が必然的に生み出す疾病であると言う。人格障害はこうした施設の子供に胚胎する心の障害である。そしてその症例が健常者と言われる人々にもその萌芽が散見されるのであれば、それはまさに理事長の言うことを裏付けるだけではなく一億総精神病時代なのかもしれない。