メール
メール恐怖症ぎみである。コンピューターのメールを携帯に飛ばす設定としているために四六時中追っかけ回されている(という気分になる)。特に忙しい相手は気が付くと送ってくる。これがつらい。まとめて送ってくれれば考えること(あるいはスタッフへの指示)は一回で済む。4回くれば4回考え4回指示しなければならない。だがそのタイミングで両者が連絡を取り合えるとは限らない。でも相手は「伝えたぞ」という気になっている。その気になっていると言うことを想像するとこちらも焦る。つい皮肉っぽい返答をすると相手は気分を害する。電話ならそういうジャブは何気なく織り込むことができてもメールだとそんなレトリックを使ってられない。かと言って忙しい相手だと電話が通じない。通じると会議だったり、新幹線のなかだったりする。ふー困った。
夕刻バスで長野へ。車中、丸山真男『日本の思想』岩波新書を読む。この本、初版は1961年で僕の持っているのは2008年の89刷である。こう言うのを名著というのだろうか?明治開国における西洋思想受容に迫られた日本における基軸としての天皇制が語られる。このあたりは微妙な問題なので僕がいい加減に丸山の主張を記すことはできないが、開国と同時に日本が寄り縋る基軸を求めたとしても不思議ではない。西欧文化は科学的論理と抽象概念に基づくのに対して、日本のそれは以心伝心で情緒性に満ちている。この背反性ゆえに西欧文化は咀嚼され内面化されることなく、別モノとして堆積したという。この状況は天皇制の影に隠れ露わになりにくかったが、戦後の第二の開国時には天皇制という基軸を失い、この相反性はより一層深刻に露呈されたという。その当時の知識も無ければその時代を生きていない僕には客観的にことの真偽を判断できないし、実感もできないが、想像には難くない。最近戦後論が盛んで、先日読んだ吉見氏のポスト戦後社会も岩波新書のシリーズの1冊。また今年のゼミの輪読では紀伊国屋から出ているその手のシリーズ(3巻本)の80年、90年代論を読もうとしているので、さしあたってその筋の基本的名著を読んでみた。文体は古風だが内容はさすがに89刷なだけあって読み応えがある。