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焼過ハウス

朝一研究室に寄る。昨日送られてきた構造スケッチに対する注文のメールを事務所に送る。その他雑用をこなして急いで市役所へ。長野は今日もひどく暑いのだが、その暑い中、景観賞の現地審査。マイクロバスに揺られ善光寺周辺を回り、駅の東へ。初めて焼杉ハウスを拝見。なんと知らなかったが焼杉は漆喰のうえに隙間を空けて釘打ちされている。思わず「焼杉というより縞馬ですね」と他の委員につぶやく。さらにこの焼杉、普通の焼杉の焼き方ではない。炭の如く真っ黒に焼けている。これはステーキで言えばwell doneである。「焼杉ハウス」は改名して「焼過ハウス」の方がいいのでは。とまあディテールはともかく。いやこのディテールこそ藤森の真骨頂なのだろうが、、、、このたたずまいは息を飲む。見事な大樹を残しつつ、周囲のランドスケープの中に美しく存在している。藤森さんという人は自然を作為的に作るのだが、自然を自然に残すことも忘れない。自然と作為の魔術師。午後は松代の方まで行き、普段見られない長野の建物を堪能させていただいた。市役所で景観賞の審議を終えて大学に戻る。役所を出るのが5分遅かった。途中強烈な雷雨に見舞われる。雨宿りすること30分。夕食後研究室でユリイカ「フェルメール」特集をめくる(2日から始まったフェルメール展に合わせて大きな本屋はどこもフェルメールコーナーが賑わっている)。浅田彰と森村泰昌の対談を読む。光の話はアルパースの『視覚芸術』の方がはるかに緻密だが、フェルメール人気を語る森村の言葉が愉快である。曰く皇室と家庭画報とフェルメール、そして吉永小百合は日本人のささやかな幸せだと。レンブラントやベラスケスのようなぎらぎらとした油絵で人間の存在にせまるような表現は血の滴るステーキ。それは日本人の口には合わない。日常の意味の希薄なただの風景がただ美しい。そんな何気なさ、血が滴るとしてもかつおのたたきのようなあっさりしたものを日本人は好むのだと。
今日の景観賞候補もそんなのが一杯あった。藤森さんのはステーキだったけれど。

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