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三つ子の魂百まで

日建に入社した最初の仕事が日比谷ダイビルの改築だった。村野藤吾がまだ渡辺節の事務所にいた時に設計した建物を壊して20階建てのオフィスを新築する仕事。総合設計制度を使い公開空地をとり、斜線制限の緩和を行なった。僕の担当はこの広場と外装の設計。特に旧ダイビルの外壁に付いていた動物のテラココッタの彫刻を広場や外装に散りばめることが求められた。チーフとの打合せに広場のアクソメ、外装の立面図、1/100、1/30の模型を作った。しかしチーフにはこっぴどく怒られた。広場の設計をるすのなら隣の敷地まで入った矩計図を描けというのである。100メートルの高さと幅のある図面を1/50で描けというのである。縦横2メートルの図面である。巨大である。しかもその矩形図をパースにしろといわれた。とにかく断面図はパースにする。ディテールは3面図にする。一面だけ描いた図は見てもらえなかった。そして常に巨大な図面を求められた。チョコチョコ描いた図面などくずかごである。図面はいつも和紙に描いて青図にした。適宜色鉛筆で色をつけた。それらは、二つ折にしてのりで貼って背張り。日付を入れて閉じていった。厚さ1センチくらいになると表紙をつけて背張りテープを貼って一冊終り。そうしたスケッチの束が1年で4冊になった。1年目のスケッチは本当に僕の生涯のスケッチの描き方を決定したかもしれない。日建の最高のスタッフに教えてもらったと今でも感謝している。
今日K-pirojectの立面を考えながら庭の広がりを考えていたら自然と隣地から道路からその向こうの隣地まで入った横長の1/50の矩形図を描いていた。庭を考える時の癖になっている。そしてその周りにずらずらとパース。昔のように巨大なパースを描いている時間は無いのだがマッチ箱のようなパースが所狭しと並んでいる。それらのスケッチを見ながら20年前のスケッチが思い出された。身に染み付いている。

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