講義とゼミ
月曜日の午後は空間論の院生の講義。『言葉と建築』の第二部が教材。今日は記憶の章である。エイドリアンの説明にはロックの『人間知性論』など登場するので、簡単な哲学史として大陸合理論とイギリス経験論、そしてそれを調停したドイツ観念論を概説した。そんな話をするつもりはなかったのだが、ふと思いついて最初に説明した。不思議なもので、その後3時からの研究室のゼミでヴァーノン・ハイド・マイナーの『美術史の歴史』を輪読していると、まったく同じような話が登場する。学生の発表を聞いているとさきほど自分が話していることとまったく同じことが語られている。もちろん僕の概説は定説を語っているだけだから不思議なことでもなんでもないのだが。
最近講義の内容とゼミの内容が様々にオーバーラップするのではっとする。学生にとっては効果的な勉強になると思うが。